2016年3月4日(金)放送、TBS系列「爆報!THE フライデー」
19時00分~20時54分


「名前の出せない芸能界事件簿第8弾」

実際に起きた紅白出場歌手Kによる殺人事件・克美しげるのストーカー被害から発展した悲劇が明かされる。

437111a3

2000年11月24日に定められたストーカー規制法。
今も記憶に新しい1999年に起きた「桶川ストーカー殺人事件」がきっかけで定められた法律。このストーカー規制法以降警察に寄せられたストーカー行為の相談件数は、平成26年で2,204件と増える一方。しかも、検挙に至るのは数件のみとなっている。

実際に事件が起きてしまうケースがいまだに多く、ストーカー被害者は泣き寝入りをしているのが現状だ。


克美しげるはストーカー規制法ができる前の事件。
犯人の女・岡田裕子からストーカー被害の真相を爆報THEフライデーで紹介される。


ストーカー被害者で紅白出場歌手Kと芸能界でも成功していた克美しげるがなぜ、犯行に及んでしまったのか。この事件、実は克美しげるの身勝手な行動で犯行に及んでいたのだ。克美しげるの過去の悪事をどこまで真相が放送されるのか、放送される前に事件概要の真実を先に紹介する。


克美しげる(かつみしげる)は1937年12月25日宮崎県で生まれる。
当時の日本は日中戦争の戦時中で、日本全体が貧しい生活を送っていた。克美しげるも裕福とは言えない家庭でたくましく生きていた。
小学校にあがると、第二次世界大戦がはじまっており、宮崎県は火薬など軍需品にかかわる工場のあった延岡市や、海軍基地の あった宮崎市、油津などが米軍の空襲を受ける。4000棟の住宅が破壊され大きな被害を受け、克美しげるは戦争の怖さを体験することになる。


高校にあがったころには、戦争も終戦を迎え日本は復興にむかって活気が戻っていた。克美しげるはジャズにハマり、同級生と音楽バンドを結成。この活動が克美しげるの音楽への道に進ませるきっかけとなった。


高校卒業後は、当時、大阪で人気があったバンド「マウンテン・ボーイズ」にバンドボーイとして採用される。この下積みの修業を経て、1960年、NHK大阪の歌番組オーディションで優勝。芸能事務所にスカウトされ本格的に歌手としてデビューすることになった。
克美しげる1

デビューした克美しげるは、1961年のデビュー曲「霧の中のジョニー」で40万枚の爆発的なヒットになり、1965年、1966年と2年連続でNHK紅白歌合戦に出場を果たす。しかし、その後、ヒット曲に恵まれず、テレビ出演の機会が減り、生活の方も荒れたしていた。


そして、1976年5月事件が起きる。
克美しげるはデビューする前に知り合っていた女性を結婚。その後すぐに離婚し、デビューしてすぐに2度目の結婚をする。子供がいたのだが、芸能活動が上手くいかない苛立ちから、ギャンブルにはまり、外で飲み歩く毎日が続く。飲みに行ったクラブでホステスをしていた岡田裕子と知り合う。

岡田裕子は、当時35歳。克美しげるが当時39歳で、4歳下の岡田裕子と交際し、岡田本人も有名人の克美しげるに奥さんがいることを知っていた。しかし、克美しげるは「妻とは離婚した」と嘘を付いて近づいてきて、その言葉を信じた岡田裕子と関係を持つようになっていく。



芸能界で落ち目になっていた克美しげるは、ギャンブルにのめり込み、負けた多額の借金を背負っていた。愛人である岡田裕子の自宅に転がり込んで、半同棲生活を送り、生活費やギャンブルの費用、多額の借金まで岡田裕子に肩代わりさせていた。


それでも岡田裕子は「いつか一緒になれる」と信じ、自分でホステスをしながら生活費を稼ぎ、それでも足りないので風俗で稼ぎ、献身的に尽くしていた。その金額は、約3000万。現在の貨幣価値で換算すると約6800万になる。それでも、克美しげるの「妻と別れたら結婚しよう」と、形だけの結婚式を行い、その言葉だけを信じ、ほとんど寝ずに働く日々を送る。



その生活は長くは続かなかった。


実際、克美しげるは受け取った金を生活費として妻に渡していたのだった。
克美しげるに再び、曲を提供してくれるという作曲家が現れ、芸能界に復帰するチャンスが巡ってくる。もう一度「紅白の舞台に立ちたい」と克美しげるは、あっさり岡田裕子の元を去ることを決める。そして、別れ話を切り出すが、岡田裕子は別れ話に応じない。岡田裕子は克美しげるが北海道に曲のキャンペーンに行くことも調べており、「一緒についていく、絶対に別れない」とストーカーと化してしまったのだ。

克美しげるが騙したのだから、責任を取るべきと誰もが思われるだろう。
しかし、 この時、克美しげるはスキャンダルになってしまい復帰の障害となると殺害を考える。そして、北海道に旅立つ1976年5月6日の夜、寝ている岡田裕子をロープで首を絞める。

次の日、友人に借りていた車にトランクに岡田裕子を布団で包み、乗せて空港へ向かい、北海道へ旅立った。この時、自宅にあった貴金属を盗み出すという鬼畜っぷりな行動をしている。

5月8日、空港の警備員が車から異臭がすると警察に通報し事件が発覚。
所有者である友人が貸した北海道にいる克美しげると明かし、キャンペーン中に逮捕されるという異例の事態になった。

hqdefault

・その後の克美しげる


逮捕された克美しげるは、裁判で「結婚しているのに岡田裕子にストーカーされた」と主張。
妻子ある男が結婚を迫られた困った挙句、犯行に及んだという身勝手な言い分を裁判で語ったのだ。結婚をせまったストーカー犯人とされた岡田裕子。検察側の15年の求刑は通らず、懲役10年と貢がせた挙句の犯行にしては軽い実刑となる。この事件により、妻と離婚。



1983年10月、7年で仮出所することになる。
音楽の仲間が署名活動を行ってくれたので、仮出所できる時期が早まったのだ。克美しげるは音楽仲間までストーカー被害者と騙していたのだ。

出所後、音楽事務所を設立し、仕事の関係で知り合った女性と3度目の再婚。
1989年5月11日、いま世間を騒がせている清原和博と同じ、覚せい剤取締法違反で逮捕。懲役8ヵ月の実刑判決をうけ、2度目の刑務所に入る。この事件で妻と3度目の離婚。出所後、音楽事務所を続け、1996年、31歳年下の妻と4度目の結婚した。
20120216_taiho_35


そして、2013年10月2日、脳出血により死去し、75歳の生涯を閉じる。

当時のワイドショーは克美しげるが被害者のように報じられた。
結婚を迫られ、ストーカーされたので犯行に及んだように報道され、真相は闇の中だった。今回の「爆報!THEフライデー」でどこまで真実が報道されるのか、注目が集まっている。



出所後の克美しげる

1:

3:
こんなひといたんだ

5:
悪人じゃねえか

80:
愛人に貢がせ続けるためにわざわざ偽装結婚式(神式挙式)したんだよね。
でも愛人は本物の結婚式と信じていた。
文金高島田・打ち掛け姿で三々九度しながら感激して涙を流した愛人→結婚式写真あり。
挙式後の「私、やっとあなたの本物のお嫁さんになれるのね」という愛人の言葉

当時のワイドショーでやってた。

83:
こいつを知ってる世代は誰一人として悼まないんじゃないかな
酷い事件だった

118:
絵に描いたような悪人。

132:
こんなクズが75まで生きるとはな。

153:
最低50歳以上じゃないとこの人の存在ピンとこないわな。

160:
自業自得、因果応報

172:
普通に悪人じゃん

178:
本当のクズ野郎だった

191:
どうでもいい

200:
典型的なヒモ人生だったな

203:
この人犯罪者ではあるが声帯に恵まれた良く通る声だった。

218:
こんな屑ですら32歳年下と再婚してるのにおまいらときたら

231:
2年連続でNHK紅白歌合戦に出演

誰だよ一体w 聞いた事も無い

237:
克美を知らなくてもエイトマンは知ってるだろ。
主人公の名前は東八郎。

257:
ドラマ化して欲しいな
泉谷とかを主演でw

278:
模範囚で早く出所できたんだなあ。

301:
悪いことは出来ないな

303:
何食わぬ顔でコンサートやってたんだっけ?

304:
こんなやつが何度も結婚して、
ましてや30何才年下の女房だと。
俺が結婚できなのは絶対おかしいだろ!!!
ふざけんな!ふざけんな!ふざけんな!

320:
ゴミ屑に合掌なんていらねーよ

1: