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29: 名無し@毒女さん
鈴木商店(すずきしょうてん)は、かつて存在した日本の財閥、商社。樟脳、砂糖貿易商として世界的な拠点網を確立するとともに、製糖・製粉・製鋼・タバコ・ビールなどの事業を展開。さらに保険・海運・造船などの分野にも進出し、ロンドン・バルティック取引所で日本企業として2番目のメンバーとなる。
鈴木商店の子会社の1つ、日本商業会社は岩井産業と合併し日商岩井へ、更にニチメンと合併し現在の双日のルーツの一つでもある。

1927年(昭和2年)3月、当時の大蔵大臣・片岡直温の「とうとう東京渡辺銀行が破綻した」との失言(片岡の発言時点では東京渡辺銀行はまだ破綻していなかった)により東京渡辺銀行は実際に破綻、他行でも取り付け騒ぎが発生する。そんな中で同年3月27日、台湾銀行は鈴木商店への新規融資を打ち切りを通告。系列化していた鳥取発祥の第六十五銀行に鈴木商店を支える体力はなく資金調達が不能となり、4月5日、鈴木商店は事業停止・清算に追い込まれた。
その前日の4月4日に鈴木商店との絶縁を宣言した第六十五銀行であったが、鈴木商店倒産のあおりを受け4月8日から一ヵ月あまりにわたり営業休止に追い込まれた。営業休止は台湾銀行の台湾以外の店舗にも波及した(詳細は昭和金融恐慌も参照のこと)。第六十五銀行は翌1928年(昭和3年)10月に神戸銀行(現三井住友銀行)の源流となる神戸岡崎銀行に営業譲渡のうえ清算された。
商社部門は1928年(昭和3年)、金子の部下だった高畑誠一を中心に鈴木商店の子会社だった日本商業会社を日商と改め再出発を図る。また金子は、同じく鈴木商店の子会社だった太陽曹達を太陽産業(1949年(昭和24年)解散。太陽鉱工の前身)と改め持株会社とし、同社の相談役として鈴木家の再興を図った。一時は神戸製鋼所を系列に持つなどした。なお、この他の鈴木商店の関連会社の殆どは当時鈴木商店を目の敵にしていた三井財閥の系列に統合されていった。

34: 名無し@毒女さん
松下幸之助も使用人にはドが付くほど厳しかったって言うし、これが大阪の商売人の標準なんだろうか(´・ω・`)

38: 名無し@毒女さん
>>34
幸之助は不況でも首切りしなかったらしいが…

43: 名無し@毒女さん
>>38
その代わり追い込んで自主退職がいっぱい・・・

54: 名無し@毒女さん
鈴木商店の夜明けぜよ(´・ω・`)

124: 名無し@毒女さん
鈴木商店って日本史で習ったが
たしか…鈴木商店が危うくなったときに銀行が支援しようとしたが
元老院が妨害して破綻させてたんじゃなかったっけ

134: 名無し@毒女さん
>>124
台湾銀行と第六十五銀行やね

358: 名無し@毒女さん
神戸にこんな物語があったなんて全く知らんかった

369: 名無し@毒女さん
すげー

375: 名無し@毒女さん
時代とはいえ二年で財閥に並ぶとは(;^ω^)

430: 名無し@毒女さん
鈴木商店なんてどう考えても個人商店にしか思えん名前を変えたら良かったのに

443: 名無し@毒女さん
他国の戦争で喜びやがって
まぁリアルな商人はそうなんやろうけど

455: 名無し@毒女さん
>>443
自国の戦争でも商人は大喜びですよ
日本だって太平洋戦争でも大儲けしてた連中が大勢いたからな

574: 名無し@毒女さん
独占は辞めといた方がいい
貧乏人に逆恨みされるぞ