2016年7月29日(金)放送、TBS系列「爆報!THE フライデー」
19時00分~19時56分



フジテレビ「オレたちひょうきん族」で人気になった寺田理恵子アナウンサーの現在を追跡。


80年代のフジテレビで土曜20時で放送されていた「オレたちひょうきん族」に出演し、その愛くるしいキャラクターが人気になっていた。その後、略奪婚の末、フジテレビを退社、そして夫の急死という波乱万丈の人生を送っていた寺田理恵子に密着する。


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寺田理恵子(本名・関本理恵子)は1961年7月15日東京生まれの現在55歳。
聖心女子大学文学部外国語外国英文学科を卒業後、1984年フジテレビに入社。
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1980年代の採用された女子アナウンサーは、「ミスキャンパス」に選ばれた経歴を持つ「見た目」が重要視された。


アナウンス技術よりも、容姿を優先。「誤読」やトチリなど本来は、許されないはずの業界なのに、バラエティー番組に進出することで、女子アナの見方が大きく変わっていた時代に突入していた。



現在のカトパンや水卜麻美のように「タレント並み」に注目を浴びる女子アナウンサーが誕生したのは、1975年フジテレビに入社した田丸美寿々アナ。女子アナウンサー史上初のフリーランス(自由契約)に成功した、女子アナの道を作った人物。
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1980年代前半にはひょうきん族のように「コントをするバラエティ番組への参加」する女子アナが注目され、1980年入社の山村美智子、1984年入社の寺田理恵子、1985年入社の長野智子は「ひょうきんアナウンサー」と称され、視聴者に親しまれた。




フジテレビの「ひょうきんアナウンサー」が視聴者に好まれたことで、日本テレビ、TBSもバラエティ番組とスポーツ番組で局の看板アナを起用する番組が増えだすことで、現在の女子アナという地位が確立したともいえる。



当時の寺田理恵子は現在でいうカトパンのような人気アナ。

1989年に寿退社するまでの約5年間「ひょうきんアナウンサー」を務め、夫である関本雅一と結婚してことにより寿退社。長女をもうけ、「藍沢ゆりえ」名義で歌手活動をしている。
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参照wiki


・寺田理恵子の略奪婚

当時、結婚していた大手広告代理店「電通」に勤務していた関本雅一。

「電通」は、大袈裟に言えば「この国をどうにでも出来るほどの力」を持っている会社。
電通に入社するには、それなりのコネがないと繋がりすら持てず、一般の方には恩恵を受けることは絶対にない。広告業界を束ねる「電通」にマスコミですら、逆らう事は出来ないほど絶大の力を持っている。


「電通」の力なしに実力で芸能界で売れる事は稀。

数々の流行やスターを誕生させ、ドラマや映画のヒット作、また「妖怪ウォッチ」のようなブームを作り、キャラクターグッズを販売、映画にまですることができるのは「電通」。 韓流ブームは失敗に終わったようだが、流行はすべて「電通」が発信しているといっても過言ではない。



そんな電通で勤務していた関本雅一は、寺田理恵子と知り合ったことで、妻と離婚。そして寺田理恵子と再婚し、俗にいう「略奪婚」をしていた。だが、「略奪婚をすれば不幸しか待っていない」ことを証明する結末が待っていた。



関本雅一は3億円もの金額を水増し「不正請求」していたことで電通を解雇。
その後、自分で会社を設立するが、経営不振が続き。借金だけが増えていき、とうとう自宅まで担保にいれて苦しい借金生活が始まる。


そんな、どん底の生活するなか、夫の関本雅一が倒れてしまう。
病院についたころには、大動脈りゅう破裂ですでにこの世を去っており、寺田理恵子に残されたのは借金と長女だけになってしまったという。



・現在の寺田理恵子


残された寺田理恵子は、借金返済と生活のため、パートを始めるが、生活するのも苦しい状況が続く。その時に救いの手を出してくれたのが、フジテレビ時代にお世話になった生島ヒロシ。

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生島ヒロシは寺田理恵子を自身の事務所「生島企画」の所属タレントとして向かい入れ、自身が務めるラジオ「サタデー・一直線」のアシスタントに抜擢。キャスターとして活動再開することで、借金生活から抜け出すことが出来たという。
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現在は、借金もなくなり、キャスターの傍ら、娘の歌手活動のサポートする日々。
今夜の放送では、当時略奪婚をしてしまった、親子の確執をテレビ初告白。寺田理恵子の半生に振り返り、夫の急死以降の壮絶な借金生活を振り返る。


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