2016年9月14日(水)放送、日本テレビ系「ザ!世界仰天ニュース」
日本の犯罪史に残る悪女SP!
21時00分~21時54分



整形を繰り返し14年逃げた女・福田和子の生涯を仰天ニュースで公開。

1982年に起きた、同僚のホステス殺人事件から始まった逃亡生活。
現在は、法改正により殺人事件の時効はなくなったが、当時は時効が15年。時効寸前まで日本各地に逃亡、整形を繰り返し、日本の犯罪史に残る希代の悪女・福田和子は何者なのか?


そして、福田和子はなぜ時効目前で、無防備でいられたのか、仰天ニュースで真相がドラマ仕立てで紹介される。


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・事件概要


1982年8月19日。
愛媛県松山市のマンションで、福田和子が務めていたホステスの同僚を殺害。当時、結婚していた夫に「遺棄の手伝い」とホステスの家財道具を手伝わせ、運ばせている。家財道具は、夫とは別に2重生活をしていた当時の愛人との部屋。そして、被害者の親戚を騙し、被害者の通帳から現金74万を引き出させた。



事件が発覚したのはホステスの勤務するクラブが被害者と連絡取れなくなった事で、自宅を訪れると、部屋にあったものがほとんどなくなっていたことで、管理人に相談。当初、夜逃げかと思ったようだが、管理人が警察に通報したことで、事件の調査が始まる。警察の聞き込みの結果、マンション住人が福田和子たちが家財道具を深夜に運び出していたことを目撃していたと証言を得て、「事件性が高い」と警察は、事件を知る重要人物として本格的に捜査を開始する。



容疑が固まったとして逮捕に踏み切る前に、警察は福田和子の家に電話を入れていた。
時刻は午後16時ごろ、福田和子が在宅しているかを確認をしたのだった。


その電話を受けた福田和子は、見知らぬ声の相手が最初に発した「もしもし」で、警察からだと察知。咄嗟に幼い言葉を使い「娘」を装った。「お母さんはいないです。松山(勤務先)からもうすぐ帰ってきますよ」と答えると、警察は、「今は松山にいる」と信じ込んでしまったのだ。


この電話を切った後、福田和子は逃亡を決意。
夫に悟られないよう普通に家族の食事を準備をし、夫に「親戚に不幸があった」と告げ、バック一つだけもってタクシーで駅に向かい、そこからフェリー乗り場に向かった。(この時、途中で警察が検問をしているのを確認している)



ここから長い逃亡生活が始まる。


福田和子が自宅をでた後の午後23時、警察が福田和子の自宅を訪れ、夫を死体遺棄の共犯者として逮捕。取り調べで、遺棄の場所と家財道具を運んだ部屋も自供した。


一方、福田和子は石川県金沢市に流れ着いていた。この場所を選んだ理由は特になく、金沢市のスナックで勤務する。「小野寺忍」と名乗り、自身のことを京都の料亭の跡取り娘と偽り、旦那の暴力で逃げてきたと嘘をついていた。整形をしてホステスで働きながら、客との男性と関係をもち、同棲生活を始める。


逃亡してから39日目の1982年10月2日。

福田和子は、愛媛の愛人に大阪の公衆電話から、通信記録が残るように連絡を入れる。愛人は、警察に事情聴取されており、「高井はつ美」と名乗っていたのは偽名、結婚して子供がいることを知らされていた。



福田和子は「潜伏先を大阪だと思わせるため」の偽装行為のために、わざわざ大阪まできていたのだった。福田和子はその電話の後、自宅にも電話をかけており、離婚届を送るという内容の電話の記録が残っている。実際に離婚届も大阪から郵送、潜伏先のかく乱を行った。この時の音声が公開捜査番組で何度も流れ記憶に残っている人もいるだろう。


「私も悪知恵働くんでね。切るよ。本当に。危ない危ない。逆探知されたら困る」



したたかな一面を見せる福田和子のセリフに、日本は震撼した。


その後も金沢市のクラブで働きながら、同棲生活をしていた福田和子にある出会いが訪れる。100年続く老舗の和菓子屋の若旦那が客として訪れる。若旦那の跡取りと知った福田和子は、その男性に猛アタックを開始。当時、若旦那は結婚をしていたのだが、福田和子と愛人関係になる。福田和子はあっさり同棲していた男性を捨て、若旦那に乗り換えた。


前の男性と住んでいた部屋から家財道具を引き払い、若旦那に「華世」と名乗り、家財を部屋に運び入れ同棲生活を開始する。しかし、その部屋を前の同棲相手が探し出し、関係修復を懇願される。これにより、福田和子しばらく2重の同棲生活を送ることになる。



1年間にも及ぶ二股生活に終止符を打ったのは、若旦那が「妻と離婚し子供を引き取るから、和菓子屋で世話をしてくれないか?」と頼まれ、二つ返事で了承。もう一人の同棲相手と関係を絶ち、若旦那の内縁の妻として入る。



この時1985年5月5月、逃亡生活が3年目を迎えていた。


和菓子屋の「女将さん」という立場で働く福田和子は、とてもまじめで、従業員に慕われていた。 「ようやく安定の場所を見つけた」と思った福田和子だったが、若旦那の前妻の子供たちを見て、自分の息子に会いたくなる衝動にかられるようになる。



1986年9月10日、福田和子は全国指名手配中にも拘わらず、愛媛県に帰郷。
自分の息子に連絡をとり、息子との再会。当時、19歳の息子との再会を喜び「一緒についてくる?」と聞かれ、息子は同意。そのまま福田和子は、息子を連れて石川県の和菓子屋に連れて帰り「甥っ子で行くところがない」と説明し、住み込みで働かせてもらうようにお願いする。若旦那は了解し、そのまま働くことになった。


1987年12月。
若旦那は離婚して2年がたったことで、福田和子に正式に籍に入るように結婚を申し込む。福田和子は、京都の料亭の跡取りと嘘をついていたため、戸籍を出すことができず、ずっと返事を曖昧にしていた。さすがに若旦那や親族が不審に感じ始めたその時、偶然見つけた福田和子の指名手配を見つけてしまう。そして、身辺を探り出すと、福田和子の息子のバックから免許証を発見。その住所・本籍が愛媛県になっていたことで指名手配の福田和子と確信したのだった。
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すぐさま警察に通報し、翌日の1988年2月12日。
福田和子は、公民館で通夜の準備をしているところを警察が捜査に訪れる。この時、館内で準備をしていた福田和子が、外にいた受付に「警察らしい」背広の男性数人が話しかけているのを目撃。そのまま、裏口にあったサンダルと置いてあった自転車を盗難し、息子を置き去りにして逃走。
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警察よる捜査ミスにより、再び取り逃がすことになる。
逃亡した福田和子は、「倉本かおる」と名乗り、愛知県名古屋市にあるラブホテルの清掃員として働いていた。しかし、そこでも長くは続かず、同僚と休憩時間に見ていたテレビ「ワイドショー」で福田和子の事件を見て「あんた似てるわね」と言われ、すぐ辞めている。辞めた後、その同僚に偶然会ったふりをして「これから下呂温泉にいく」と切符をみせ、再び偽装工作を行った。実際は、名古屋駅前の違うラブホテルで清掃員として勤務。警察の裏をかいた逃亡は、再び足取りを完全に見失ってしまう。




1988年8月1日、死体遺棄容疑の時効成立。
その後の福田和子は、警察の捜査は手がかりが全くない状態だった。
1996年までの約8年間、整形を繰り返し、3か月以上同じ町にとどまることをしなかった。北は北海道から南は山口県下関まで、全国各地を転々をした生活を送る。



1996年8月、福井県に福田和子はいた。
この時、年齢は49歳になっており、時効まで1年。福田和子は化粧品販売員になっており、「中村ゆき子」と名乗っていた。和菓子屋を出ての逃亡生活は3か月ととどまらなかったのだが、福田和子は、すでに9か月この町に住んでいた。


「逃げ切れる」と過信していた福田和子は、仕事の帰りによく立ち寄っていた小料理屋の常連になっていた。この店の女将と親交を深めていたが、女将は「福田和子に似ている」と疑惑が浮上し始めていた。今ままでの福田和子なら、「探られている気配」を察知していたのだろうが、度重なる逃亡生活に疲れ、時効まで2か月ということもあり「女将が裏切るはずがない」と初めて人を信頼をしていた。



一方、女将は「疑惑が確信に変わり」警察に通報していた。
警察は福田和子本人か確認するため慎重になっていた。そこで、店の中の物から指紋採取をすることを提案。女将は、カラオケをするときに福田和子は「マラカス」をふることを知っていたので、福田和子に触れさせ、そこから指紋をとることにした。



しかし、警察に通報以降、福田和子は店に来なくなってしまう。
「察知されてしまった」と感じた女将だったが、1997年7月27日、偶然に街中で福田和子と遭遇。「大阪に仕事で行っていた」と告げられ、「明日お店に行く」と約束する。この時、福田和子には婚約者がいた。その婚約者は、仕事で海外に行っており、来月結婚すると聞かされる。


来月の8月19日は、福田和子の時効成立が決まる日だった。


福田和子と別れた女将は、警察に通報。次の日の7月28日、言われた通り、指紋採取のために福田和子が触るであろうビール瓶やコップ、マラカスを綺麗にふき取って準備して待ち構えた。

今まで用心深い福田和子だったが、結婚が決まっていること、時効寸前という事もあり、酒が進み泥酔していたという。この時の酔っ払った福田和子は「福田和子に似てるって言われるんよ。似てないよね?」と事件に触れる発言。泥酔した福田和子が店を出るとき、女将は「似てないよ」と声をかけたそうだ。その時、「また明日来る」と告げて店を出ている。



女将は指紋を採取したコップなどを警察に届ける。
次の日の7月29日、再び福田和子が現れる。その時に、警察からお店に電話が鳴り、指紋鑑定した結果、福田和子本人だと告げる。女将は福田和子に悟られないように平常心を装い、警察から「福田和子は今、店にいますか?」という質問に「はい」とだけ答えた。


すぐさま警察は出動。
店から出てきた福田和子を警察が取り囲み、福田和子と確認して逮捕されることになる。



14年344日経った福田和子の逃亡劇は終焉を迎えた。

http://dokujyoch.net/archives/56716901.html



・その後の福田和子

逮捕された愛媛県に移送される福田和子を撮影しようと、新幹線にマスコミが殺到。ヘリまで出動し、ワイドショーは連日福田和子の事件を取り上げた。

裁判では無期懲役の判決が下される。しかし、不服とした福田和子は控訴しするが棄却され、最高裁でも無期懲役が確定した。そして、2005年2月。服役中の刑務所で、くも膜下出血で倒れ緊急入院。しかし、57歳で生涯を閉じた。





・福田和子の息子の現在


福田和子の息子は、福田和子の逃亡以降、和菓子屋を辞めている。製造工場で働き、独立。現在は結婚・子供をもうけ、福田和子の裁判の時に情状酌量を求め、母親の心情を明かしている。



・福田和子が働いていた和菓子屋

石川県能美市根上町にある和菓子屋だが、店名は公開されていない。働きっぷりは、お客に評判がよく、ホステス経験が活きていたようだ。福田和子がきてから、業績は上がっており、接客業の商才があった。

元メジャーリーガー松井秀喜も面識があったようだ。福田和子が逮捕されたとき、松井秀喜がインタビューで答えており「綺麗で明るい人だった」と印象を語っている。



・福田和子の取り調べ供述

福田和子の整形成功で長く逃げ延びたケースを機に、警察は指名手配犯を真っ先に整形外科医に知らせるシステムを確立。福田和子は、あのまま時効成立してしまう事に実は「罪悪感」があったと供述している。

無期懲役になったのは、息子に愛情を注いで居て、息子が「社会復帰したら私が母を監督し、真人間にします」と証言し身元保証人になったので、減刑された。福田和子は他にも父親を公表していない3人子供を産んでいたそうだが、長女は結婚して幸せな家庭を築いているという。

仰天ニュースでは、福田和子の逃亡生活を公開。
複数の男を手玉に取り、逃げ続ける14年の生活の足取りを追う。



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