ブル中野07

2016年11月28日(月)放送、テレビ朝日系列「しくじり先生 俺みたいになるな!!」
3時間スペシャル
19時00分~21時48分



80年代後半、女子プロレスブームを支えたブル中野が出演。

女子プロレス界史上最強悪役として女子プロレスの人気を支えてたブル中野が「現役引退して人生に絶望しちゃった先生」としてしくじり先生の教壇にたつ。かつては、悪役レスラーとしてダンプ松本と結成された「極悪同盟」は、当時の人気女子プロレスの相対していたことで、人気助長に大きく貢献していた。

しかし、ブル中野も年齢には勝てず現役引退。その後、その事実を受け入れることができず、プロレス仲間と絶縁し13年間失踪してしまったという。


ブル中野に何があったのか?


しくじり先生に放送される前に、ブル中野の失踪事件の真相を先行して紹介する。

■目次

ブル中野(本名・青木恵子)プロフィール
ブル中野の極悪同盟
プロレス全体の低迷期
引退後のブル中野
ブル中野の旦那


ブル中野(本名・青木恵子)プロフィール


ブル中野05

ブル中野(本名・青木恵子)

生年月日1968年1月8日現在48歳
出身地 埼玉県川口市
身長 170cm
体重 115kg(全盛時)ダイエットにより現在60kg代。



アメリカのWWF世界女子ヘビー級王座、WWWA世界ヘビー級王座のチャンピオンで、ダンプ松本と「極悪同盟」を結成し、女子プロレスブームを作った。


1983年に全日本女子プロレスに入門、二度のプロテスト不合格の後、三度目のプロテストで合格し本名の中野恵子でプロレスデビュー。女子プロレスラーとしては恵まれた身長(170cm)をしており、それが最後まで役に立った。運動神経も入門当初はぽっちゃり体格でとても鈍かったが、人一倍の努力と練習で向上していった。


そこへ、以前から中野に注目して気にかけていたダンプ松本から『極悪同盟に入って私と一緒にやらないか。』と声をかけられ、ヒール役になるのは絶対に嫌だったので何度も断ったが、説得のためダンプに松永会長の元へ連れて行かれたりするなど、最終的にはダンプのラブコールに折れて極悪同盟に加入して、師匠のダンプから本格的に世話をされて可愛がられるようになったという。

後年、ダンプへのインタビューによると『ベビーフェース側からダンプが気に入った後輩一人を極悪同盟へ引き抜いてもいいよ』と全女の上役に言われて、中野ともう一人気になっていた選手のどちらかに決めようと考えていたという。


参照wiki

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ブル中野の極悪同盟



ブル中野06

極悪同盟は、80年代後半から90年代初期の全日本女子プロレスのマットで暴れまわった悪役女子レスラーのグループ。

リーダーはダンプ松本で、プル中野。のちにコンドル斎藤 クレーン・ユウも加わり形成されていた。
ダンプ松本 現在


そして、この極悪同盟びいきの極悪レフェリー「阿部四郎」が名物レフリーとなる。
めちゃイケでパロディ「岡女プロレス」では、岡村隆史が扮する阿部四郎は、一方的にめちゃイケメンバー側びいきをして笑いを誘っていたが、あれはけしてデフォルメされたものではなく、実際に阿部四郎は、極悪同盟が反則をしてもチェックせず、にクラッシュギャルズやJBエンジェルズにはきびしくレフェリングをしていたので、「帰れ!阿部四郎!」と客から野次られていた。
ダンプ松本 現在1



ダンプ松本とブル中野のファイトスタイルはまさに極悪。

極悪同盟と試合をした後の長与千種は毎回大量出血しており、他の選手の場合も場外乱闘になって相手にやられて倒れこみ、顔面真っ赤というケースがほとんどだった。


長与千種とダンプ松本は、同期入門。
しかも、2人共、何故か理不尽なイジメを先輩から受けていた事で、特に仲が良かった。現役時代は、熱狂的なファンの前では、とことん、演じなくてはダメなので、ワザと接触を持たなかったとのちに語っているが、「まさにプロレスショー」として大成功を収まる。


しかし、極悪同盟がやり過ぎてしまったため、その後の女子プロレスタッグマッチの敗者髪切りマッチで敗れたジャングルジャック(アジャコング・バイソン木村)は、試合中に流血して両者とも顔面真っ赤の大流血したが、髪を切られて丸坊主になった頭や額には傷一つなく、そのときには真っ赤だった血(?)も乾いてカピカピ。なので、本物の傷から出血した物ではニセものに変更されてしまう。



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プロレス全体の低迷期





90年代のプロレス界は「低迷初期」。

TVはゴールデンタイムでの放送が一切なくなり地方興行が衰退。
新日本プロレスははドーム、全日本は武道館など「効率性」を求めて大会場に絞った興行を連発。テレビ朝日に至ってはTV放送は「ドームの煽り番組」でしかなくなり、地方はマニア以外の「一般ファン」が減少の一途。


日テレの全日本プロレスは放送時間帯が真夜中に30分のみとなり、もはや「ビデオ・DVDで録画して観よう」と考えるコアなファンしか観ない状況になった。


その頃の女子プロレス界は、人気だったクラッシュギャルズが下火になり、次に対抗戦時代に突入。この対抗戦全盛以降、女子プロレスはずっと低迷する時期に突入する。



下火になった理由は「団体の枠を超えた」いわば、一番刺激的なカードを組んでしまったがために、その時期は大盛況を迎えたが、そのあと何をやってもそれを超えることができなかった。

代表的な試合では1992年11月26日の全日本女子プロレス(川崎夢闘争92:川崎市体育館)でのアジャコングとの「WWWA世界シングル選手権」で、アジャコングにダイビング・ギロチンドロップ(ブル中野のフィニッシュ技)で負けた試合。世代交代(可愛い後輩にチャンピオンを譲る)の象徴たる試合となった。

https://www.youtube.com/watch?v=bxJ5MiMqGDk



あとはスターと悪役がいなくなった事(客を呼べる選手)。


ビューティぺアとクラッシュギャルズは歌手としても人気があり、それが若い女性(中高生)に爆発的な人気となって、歌番組とかバラエティ番組にも進出している。


最近は、男プロレスは女性客がどんどん増えていってるのに、女子プロレスはいまだ少ないのは、ブル中野のように「悪役」を演じるヒールとスター選手が存在しないのが大きいだろう。



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引退後のブル中野



クラッシュギャルズ引退後のブル中野の極悪同盟も消滅したことにより、ヒール役から正統派レスラーになっていき、他団体と交流戦で絶大の強さを誇った。

しかし、1997年に左靭帯2本を切る大怪我をして、プロレスラーを引退。

大好きなプロレスが出来なくなったことで、知っている知人の連絡先を削除、失踪していた期間が13年間あったという。

その失踪期間中の2000年、フロリダ州オーランドへ単身渡米してゴルフ修行を開始。趣味でやっていたゴルフを本格的に学びプロゴルファーを目指すが、アメリカ同時多発テロ事件の影響で、日米間の行き来が困難になる。その結果、途中帰国が出来ずに2008年までアメリカに滞在することになってしまう。(このことを誰にも報告していなかったので失踪と騒がれていた)


結果、プロゴルファーテストに落ち、日本に帰国。

トレーニングで引退後90kgあった体重を落とすことに成功。さらに、手術で胃を切って食事制限したり、部屋中にさまざまな「色紙」張り巡らし、心理的効果で食欲を減退させるなど壮絶なダイエット方法をして、現在では50kgまで減量するダイエット成功したという。
ブル中野01
ブル中野


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ブル中野の旦那


ブル中野02


」2010年に体重をキープするために通い出したムエタイ道場で15歳年下のキックボクサーでムエタイ選手でもある青木大輔と出会ったのがきっかけ、2010年2月14日に入籍。


青木大輔は出会った時にはブル中野と気づかず、デートを重ねたことでブル中野であることを伝えると、「今まで嫌われてきた分、僕が幸せにするよ」と言って結婚。

ブル中野03

2010年7月23日、小料理店「中野のぶるちゃん」を開店し2011年2月25日にガールズ婆バー「中野のぶるちゃん」を経営するオーナーとして全日本女子プロレスの後輩の引退後の世話をしているという。


今夜の放送では、ブル中野が自分のように希望を失っても諦めなければ希望が見つかるというしくじりから立ち直った魂の授業を行う。

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