2016年12月17日(土)放送、フジテレビ系列「報道スクープSP激動!世紀の大事件IV」
19時00分~23時10分



世界を震撼させた大事件を取り上げ、「誰もが知る大事件の誰も知らなかった新事実」を公開する第4弾。

今回は日本の脱獄王・白鳥由栄を取り上げる。


現在の日本の刑務所内は、受刑者同士で縦の社会と横の繋がりがあり、奇妙な連帯感が生まれ、問題ごとは避ける傾向にあり、「優等生を演じれば」仮出所が早まるという仕組みになっているので、脱獄を考える人が先進国の中で極端に少ない。


無期懲役ですら、わずか10年もしないうちに仮出所出来てしまう日本の司法制度も問題がだが、確実に刑務所生活を真面目にこなすことで、「なるだけ早く出所したい」と脱獄して、「刑期を増やしたくない」と考える。刑務所の下調べで、確実に「もめるであろう人物同士」は、刑務所を別にしたり、工場を別にしたり、配慮も大きいので、刑務所から逃げるという発想に至らなくなるようだ。

しかし、昔の日本は違った。



脱獄王・白鳥由栄はなぜ4回も刑務所を脱獄したのか?


白鳥由栄の脱獄の手口、さらに脱獄せざる得なかった刑務所の実態を先行して紹介する。





■目次

白鳥由栄とは
白鳥由栄の最初の脱獄
白鳥由栄の2度目の逮捕
白鳥由栄は看守の中で有名人だった
白鳥由栄の2度目の脱獄
白鳥由栄の3度目の脱獄
白鳥由栄の4度目の逮捕
白鳥由栄の4度目の脱獄
白鳥由栄のその後


白鳥由栄とは





白鳥由栄(しらとりよしえ)
生年月日1907年(明治40年)7月31日 (1979年2月24日死没)
出身 青森県

実家が貧しかったこともあり幼少期に豆腐屋の養子なるが、当時から悪ガキで泥棒を繰り返す悪童として周囲には有名だった。



1933年(昭和8年)4月9日、ついに強盗殺人まで犯してしまい、その2年後にその時の共犯者が別件の「土蔵破り」で捕まったのを新聞で知る。 不良だったが「義理堅い」白鳥由栄は自ら自首し投獄されることになる。



1935年(昭和10年)12月10日、収容された青森刑務所の待遇が劣悪だったことから抗議したところ、過酷な懲罰を受け、辛い受刑生活が始まり、この時から刑務所の人間に不信感を抱くようになる。





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白鳥由栄の最初の脱獄




青森刑務所の看守たちは、白鳥由栄たち受刑者を人間としては扱わなかった。

軍国主義である当時の日本では、犯罪者である白鳥由栄を人として扱うことはなく、イジメや暴言を浴びせられる毎日を送っていた。



この時の白鳥由栄は、すでに脱獄を決意。


当時の独房に収容されていた白鳥由栄は、劣悪な環境な為、独房の外に出る機会はほとんど与えてもらえることがなかった。独房の外では、常に看守が見張っており、とても脱獄なんて出来る状況ではない。


白鳥由栄が考えたのは、独房の中に設置してあったそなえつけのトイレ。

当時は汲み取り式のトイレなので、便器からくみとり汚物を捨てに行く時、この小窓と鍵穴の位置を観察。鍵穴は小窓から手を伸ばせば届く位置にあるのを確認。

便器の汚物を捨てに行く時、白鳥由栄が唯一外に出れる時に、看守の目を盗んで針金を拾い、針金を「汚物入れ」の底に、ご飯粒で貼り付けて持ち歩いた。

 
そして、白鳥由栄は独房の小窓から手を出し、鍵穴に指を押しつけ「鍵穴の形」の跡に残し、その形を見乍ら、針金を曲げて鍵を自作する。何度か試行錯誤していくうちに、合い鍵が完成。
看守の目が緩い、真夜中の交代時間に狙いを定め、巡回に15分間のわずかな時間で自作のカギで独房を脱獄。さらに、他の裏門にあった鍵もすべて同じタイプだったため、白鳥由栄は針金一本で脱獄に成功した。


1936年(昭和11年)、青森刑務所を脱獄。しかし、あっけなく再逮捕されてしまう。



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白鳥由栄の2度目の逮捕



脱獄してから窃盗を繰り返していた白鳥由栄は、盗んだ食い物で腹を壊し、墓地でうずくまっているところを発見され、脱獄より3日後、あっけなく逮捕。青森地裁で「逃走の罪」で無期懲役判決が下り、再び青森刑務所に収監される。



脱獄を成功している白鳥由栄は、1937年(昭和12年)3用20日、宮城刑務所に移監が決定され、さらに1937年(昭和12年)4月7日、小菅刑務所(現在の東京拘置所)に移監される。

1941年(昭和16年)10月20日、第二次世界大戦の「戦時罪囚移送令」に基づき、白鳥由栄は秋田刑務所に移監され、ここで白鳥由栄は2度目の脱獄を果たす。




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白鳥由栄は看守の中で有名人だった




白鳥由栄は秋田刑務所では有名で、看守は再び脱獄を警戒し、「不良囚」として厳重にチェックする。特別な独房「鎮静房」を用意し、日が差し込む明かり取り天窓があったが、昼間でも光が入らず、照明は薄暗い20ワットの裸電球がひとつ。璧には銅板か張られ、扉には食事の食器を出し入れする小窓すら無い完全な密室状態。

常に白鳥由栄の両手には手枷がされており、食事とトイレの時だけしか外してもらえなかった。白鳥由栄はこの劣悪な環境から逃げたい気持ちで再び脱獄を決意。


白鳥由栄が看守相手に「脱獄するぞ」と小声で囁くと、低い声の迫力に若い看守は威圧されたという。




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白鳥由栄の2度目の脱獄



完全な密室となった「鎮静房」の璧、扉を破る事は不可能だった。
そこで、白鳥由栄が考えたのが、わずかに日がさす、天井の天窓についていた鉄格子。その鉄格子をよく観察すると、古くさび付いており、腐りかけていた。


白鳥由栄は、夜中に看守の目が緩くなった時、璧をよじ登る練習を始め、何度目かで天窓まで登ることに成功する。その天窓のワクに取り付けられていた「ブリキ片」と「錆びたクギ」を見つけ、そのブリキをクギで突き刺して、ギザギザに尖らせ、ノコギリ状に作成し、天窓のワクの四方を切断。

看守の交代時間の1日に10分の時間で作業を行い、地道に作業を進め、ついに鉄格子を切り離す事に成功。そして、いつでも脱獄できるように時を待った。



1944年、外が暴風雨になった時に脱獄を決行。
看守の交代時間で15分の間に璧を上り、天窓を外して外の地上に出ると、そのまま刑務所の裏手に回って中庭の壁を飛び越え脱獄した。

 

その後、脱獄から3カ月経った1944年(昭和17)年9月20日、白鳥由栄の行方は判らなかったが、突然お世話になった小菅刑務所官舎の小林良蔵戒護主任の家を訪れた。小林戒護主任に優しく悟られ、白鳥は号泣。翌朝、小林戒護主任に付き添われて自首し、3度目の逮捕となる。


東京区裁で逃走罪に対し懲役3年の判決が下ったあとに、1944年(昭和18年)4月25日夕刻、網走刑務所に到着した。




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白鳥由栄の3度目の脱獄



北海道網走市にある最恐の刑務所、明治時代からある網走刑務所は脱獄不可能と言われた。


その理由としては刑務所のある立地条件。
冬は雪で極寒の地に脱獄するなど「自殺」するようなもの。周辺には何もないので、入れられたら最後と言われている網走刑務所でさえ、白鳥由栄は極悪人扱いをうけた。


白鳥由栄には「四舎二十四房」という特別な独房が用意され、看守からは厳しい扱いを受ける。さらに極寒の地にある網走での冬は辛く、囚人服の薄着のままで手枷をつけながら過ごし、看守が体を水拭きするだけで、風呂には一度も入れてもらえなかった。


白鳥由栄は、この難攻不落の網走刑務所でも脱獄計画を始めていた。


白鳥由栄は毎日の食事に出る味噌汁を根気良く鉄格子にかけ続けていた。すると徐々に鉄格子がさび出し、怪力の白鳥由栄の力で曲げられるほどに緩くなってくるを待ち続けた。そして、3ヵ月我慢しながら、みそ汁をかけ続けると、ついにいつでも外せるほど緩くなる。


あとは脱獄のチャンスを待つだけ。

ある日、停電が起ったすきに白鳥由栄はこのタイミングを逃さず、脱獄。
事前に緩めておいた手錠、足錠を外し、ふんどし姿で脱獄し、網走刑務所から姿を消した。



※現在、網走市にある監獄博物館には、白鳥の脱獄シーンを再現した人形が設置されている。右手前の独房の鉄枠をはずし、天井に上り、採光窓を割って逃げた。
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博物館に行けば他の独房よりも、白鳥の入っていた独房の床が高くなっているので、それだけ、白鳥の独房だけ床が強化されていた証明になるだろう。




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白鳥由栄の4度目の逮捕



白鳥由栄は脱獄後、山に逃げ込み、人里を離れていた。
町に食糧調達に降りた時に、新聞を見て日本が負け、終戦を知る。この終戦がきっかけで、札幌に向かうと途中にスイカ泥棒に間違われ、暴行をうけたことに逆上し、殴り返し農夫を死なせてしまい4度目の逮捕になる。



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白鳥由栄の4度目の脱獄



 

白鳥由栄が入れられたのは札幌刑務所。

ここでは、もはや白鳥由栄を「英雄」扱いする囚人もいたほどのカリスマ性を持っていた。
看守は2人1組の2組交代で看守がつねに見張っている状態になり、白鳥由栄から一時も目を離すことはしなくなった。



それでも白鳥由栄は脱獄を決意。

24時間の監視中では妙な動きが出来ないので、自分が「寝ている」時の状態しかなかった。寝る時の床に敷かれたゴザの芯を抜き、床板のすき問から床下を探った。


「板を外せば逃げられる」
と確信した白鳥由栄は、床下からの脱獄を計画。

看守のわずかなスキを狙い、移動中の部屋のドアのクギを抜き取り、クギでノコギリを作り、床を切断。地道な作業は寝ていると思わせている時に行うため、作業が進まなかったが、ついに床板を切って脱獄するだけとなった。


そして、寝ている様子の状態で床下から脱獄し、4度目の脱獄を成功させている。




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白鳥由栄のその後




再び、逮捕される白鳥由栄だが、府中刑務所では一般の受刑者に扱われたため、脱獄をすることなく模範囚として1961年に仮釈放。



出所後は建設作業員として就職し、結婚はしていないが同居していた女性がいたという情報が出回っている。その女性の連れ後だったのか、子供がいたようだ。なので、白鳥由栄の血縁の子供ではない。


1979年、心筋梗塞で72歳でこの世を去った。
白鳥由栄の遺骨は、仲良くしていた当時、近所の子供だった女性が引き取り、埋葬された。


今夜の放送では、白鳥由栄の遺骨を引き取った当時子供だった女性にインタビューを行い、いままで明かされなかった白鳥由栄の素顔に迫る。


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