• 投稿 2017/01/18
  • 生活
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2017年1月18日(水)放送、TBS系列「マサカの世界衝撃事件6」
20時54分~22時54分

2007年3月26日、イギリス人英会話講師リンゼイ・アンホーカーさんの事件。

犯人の市橋達也は2年7ヶ月間も逃亡生活を送りなぜ逃げる事ができたのか?いまだ不透明な証言と明らかなにしていない真相について、口は閉じたまま判決をうけ、上告せず刑務所で服役中である。

市橋達也はきちんと自分の口で真相を語るべきなのにそれでも真相を明かさない謎だらけの事件。

今夜の放送で市橋達也の謎だらけの事件のその後を調べて、逃走ルートを再検証、市橋達也が潜伏した先を検証し、事件の真相を迫る。

今夜の放送に先駆け、市橋達也の事件の経緯、早く真相を明らかにしてリンゼイさんのご家族に少しでも早く安心していただきたい思いで、事件概要を説明する。

 

■目次

市橋達也の事件概要

市橋達也プロフィール

市橋達也の両親と姉

市橋達也の逃走劇

市橋達也のオーハ島での生活

市橋達也の映画

市橋達也の判決
市橋達也の事件概要
市橋達也1
2007年3月26日午前。
リンゼイ・アンホーカーさんと同居していた女性から、リンゼイさんが帰宅しないことで、警察に通報、行方不明として捜索を開始する。

同日の3月26日午後9時40分、千葉県市川市で市橋達也とリンゼイさんが駅の防犯カメラで一緒に歩いているのを確認され、自宅に捜査員が訪ねる。警察の任意捜査に素直に応じ、捜査官を中に招き入れると、その隙をみた市橋達也は非常階段を駆け下りて逃走。マンション外にいた他の警察の裏をかき、そのまま東京メトロ東西線行徳駅方面に逃走した。千葉県警は指名手配犯として、警察犬、捜査員と総員100名にも及ぶ大追跡を開始。

この逃走から2年7ヶ月の間、市橋達也の逃走生活が始まる。

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市橋達也プロフィール
市橋達也は父親が医者で、母親は歯医者という裕福な家庭に生まれる。
市橋達也
市橋達也も幼少の頃から医者を目指し、とても成績優秀だった。
中学時代はバスケ部で副キャプテン、高校時代には、部活で陸上に入り足の速さは学年1位、空手は黒帯で勉強以外でも活躍。地元名門校に進学し成績も優秀、趣味も多彩で絵が上手く、更に生徒会役員も務めクラスの人気者だった。両親が医者という裕福な家庭に育ち、本人も「期待にこたえよう」と勉強に打ち込んだが、しかし、4浪しても大学受験に失敗し浪人。目指していた医学部には入れず、医学部じゃない大学に入るが卒業後も働きもせず、親の仕送りで暮らしていたニートだった。

親は「愛情」と勘違いし、市橋達也は湧き水の如く使い、月15万の仕送りをして貰いながら、ニートを謳歌。事件数日前に親が「もう仕送りをしない」と通告。これに「自暴自棄」にでもなったのか、今回の事件が起こったと言われている。

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市橋達也の両親と姉
市橋達也の両親は高校からの同級生で、同じ医者を目指す事で知り合い結婚。
父親が外科医、母親が歯科医という社会的に高い地位の家庭で育ち、市橋達也には二歳上の姉いて、その姉も医者で既婚者。姉が医者なだけに長男という立場で医者になるプレッシャーがすごかったのだろう。

実家が病院をやっているわけではなく、岐阜県の地方病院に勤めている勤務医の外科部長という立場だった。しかし、市橋達也が容疑をかけられ逃亡事件発生後辞めている。


市橋達也の逮捕直後の会見で、マスコミが両親の最初の謝罪の言葉をカットして報道したことで、市橋達也の両親への批判も多かった。親族、特に両親は市橋容疑者を育て、人格形成に一番関係したので、責任は大いにあるので批判は受けるのは仕方がないが、両親はリンゼイさん家族に事件後から手紙のやりとりをして、何度も謝罪し、日本に来日するたびに、その費用を市橋達也の両親が負担しているので親の責任を果たしている。市橋達也の逃走中には被害者家族宛に英語で手紙を出しているが、拒否されてたりしている。

余談だが、市橋達也の姉も事件後に離縁していることから、市橋達也のせいで一家離散してしまった家族も被害者といえる。


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市橋達也の逃走劇
市橋達也2
市橋達也を取り逃がした千葉県警の失態は大きく、警察は威信にかけて捜査。100人体制から150人体制に捜査強化し、有力な情報に懸賞金を1000万円、指名手配を全国に広げることになる。

市橋達也は軽装のまま財布に入っていた5万円を所持し逃走。
自己流で整形手術を行い(ほくろをカッターナイフで切除、鼻翼を左右から縫い縮める)関東周辺を逃げている。移動は徒歩をメインに足のつきにくい手法をとり、日本を北上し青森まで移動。

青森駅前公園で1週間ほど寝泊りするうちに青森の経済状況がよくないことを感じ取り、働いて生活するために大阪市西成区の公共職業安定所を訪れた。ここでは職に就くことはなく、すぐに岡山県を経由して四国に移動した。


四国では香川県高松市から徒歩で徳島県~高知県~愛媛県とお遍路。

これは贖罪の意味があったとしている。一方で「逮捕されればさらしものになる」「指名手配されると、自首しても減刑にならない」と自主的な出頭は考えていなかった。お遍路の先々にも手配写真が掲載されているのを見て、このままでは逮捕されるのは時間の問題と考え、無人島での生活を考え始める。

高知の図書館で無人島について調べ、滞在地として沖縄県のオーハ島を選択した。お遍路を途中で止め、松山港からフェリーで別府港に移動し、その後鹿児島県を経て沖縄に渡った。

初回のオーハ島渡航は、準備不足で1週間ほどで頓挫した。資金が尽きた市橋は、沖縄本島の建設現場で偽名で働き金を稼いだ。沖縄での経験で、市橋はオーハ島と大阪での住み込み労働を繰り返す生活スタイルを考案した。

住み込みでの仕事は解体現場や建設現場を選んだ。他にも船に乗る仕事や風俗に女性を派遣する仕事などをしないかと誘われたが市橋は断っている。勤務態度は良好であったが、宿舎の近くに警察らしい車両が止まっていたりすると、身近に捜査が及んでいるのではないかと疑い、所持物を部屋に残したまま逃げ出すことを繰り返した。

2008年春には自宅の近隣に所在し、卒業論文のテーマであった東京ディズニーランドを訪れている。住み込み労働で得た貯金で、2008年10月23日と24日に名古屋の形成外科にて眉間の形成手術を受けた。

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市橋達也のオーハ島での生活
市橋は、逃亡中に沖縄県の島尻郡久米島町のオーハ島を4回訪れており最長で3ヶ月ほど滞在した。最初の滞在では海岸近くの岩場に潜伏していたが、2回目以降の滞在は海岸近くのコンクリートブロック造りの小屋に移動した。オーハ島はダイビングスポットや海水浴としては人気があったが、当時居住していたのは70歳代の男性が1人であった。

隣の久米島で仕事を探したが適当な仕事がなく、自給自足の生活をしていた。
最初の滞在は準備不足で魚釣りも満足にできず食料調達に失敗し1週間で頓挫した。オーハ島から沖縄本島に戻るときにはフェリーの代金が足りずキセルをして職員に捕まっているが、事件の市橋とは察知されず放免されている。

2回目以降の滞在では図書館でサバイバルに関して調査し、魚や蛇・ヤシガニを食べたり、野菜を栽培するなどして生活。飲料水は奥武島に泳いで渡り、1週間分の飲料水をペットボトルに詰めて持ち帰るなどした。

2009年11月10日、通報をうけ、大阪南港フェリーターミナルに先回りし、待機していた警察官が、この島を目指して移動途中、市橋達也は逮捕された。

参照wiki

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市橋達也の映画
ff
市橋達也の手記「逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録」は2013年にディーンフジオカ主演で映画化されている。これは出版社と監督との合意によって映画化が決まったもので、原作者である市橋達也や弁護団には事後報告だったそうだ。

市橋達也と出版社がどのような契約を交わしているのかわからないが、通常の著作の原作を元に映画化する際は、原作者に原作使用料が支払われ、その映画がDVD化されれば、実売に応じた印税も支払われる。

しかし市橋達也の場合、「著作印税の全額を被害者遺族への弁済に充てる、遺族が受け取らない場合は寄付をする」という条件で手記を出版しているので、二次使用の印税だけ自身が受け取るということはないだろう。なので、原作の印税は被害者遺族が受け取りを拒否しているので、二次使用で印税が発生した場合も、寄付ということになると思われる。



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市橋達也の判決

2012年、市橋達也は無期懲役が言い渡されている。


現在の無期懲役の仮釈放までの平均刑期が30年。
英国には死刑制度がないから、感覚的に無期懲役が最高刑のように感じるのかもしれないが、「日本での無期懲役イコール海外の終身刑には当たらないこと」とか、真面目に務めると出所できることをリンゼイさんのご両親に伝わっているのかは不明である。

ただ、無期懲役の中には60年以上も塀の中にいる囚人も3人もいる。

無期囚が仮釈放を希望する場合、身元引受人の家族は老齢になっていたり、引受を拒否するので、たいてい更生保護施設に入れられる。更生保護施設も定員に空きが少なく、引受が物理的に不可能なこともあり、空きがあれば、無期囚は優先的に引き受けられる。

なので近年の無期囚は、事実上の終身刑化といって過言ではないだろう。
市橋達也がもし出所できるとすれば、早くて2042年ごろ。その時に真相を語る前に、なぜ逃亡することが出来たのか?今夜の放送で検証される。

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