本能寺の変4
2018年1月6日(土) 放送、TBS系列・古舘トーキングヒストリー「~戦国最大のミステリー本能寺の変、完全実況~」
21時00分~23時10分




古舘伊知郎が戦国最大のミステリーと言われる「本能寺の変」を完全実況。
大杉漣、筧利夫ら豪華キャスト出演による本格ドラマと実況が融合した前代未聞の歴史バラエティで、その謎に迫る。







本能寺の変には謎が多く、いくつもの説がある。
そもそも、「光秀はなぜ謀反を起こしたのか?」という理由(動機)が分からないために、後世(主に現代)の作家や歴史研究家といった人たちに検証や推察が多くされてきた。




全て「後付け」の発想ではあるが、内容的に想像や憶測で語られているものの中にも、史料としてちゃんとした記録に残っているのもあり、総合的に納得して信頼できる説もある。





今夜の放送に先駆け、実際にわかっている本能寺の変がドラマ化されるので、わかりやすくまとめてみた。



■目次

本能寺の変とは
「本能寺の変」前の織田勢
「本能寺の変」当日の織田信長
本能寺の変の謎
明智光秀と織田信長
本能寺の変の真実
信長のパワハラ

本能寺の変とは


本能寺の変4



本能寺の変とは、天正10年6月2日(1582年6月21日)早朝、京都本能寺に宿泊していた織田信長が、家臣明智光秀の謀反によって襲撃された事件。



信長は寝込みを襲われ、包囲されたのを悟ると、寺に火を放ち自害して果てた。信長の嫡男で織田家当主信忠は、宿泊していた妙覚寺から二条御新造に退いて戦ったが、やはり館に火を放って自害。


これによって織田政権は崩壊し、天下人となった光秀であったが、中国大返しで畿内に戻った羽柴秀吉に山崎の戦いで敗れて、僅か13日後に光秀もまた同様の運命を辿った。この事件は戦国乱世が終息に向う契機となったので、戦国時代における最後の下剋上とも言われる。



光秀が謀反を起こした理由については、定説が存在せず、「日本史の謎」「永遠のミステリー」などと呼ばれ、様々な人々が多種多様な説を発表している。


参照wiki


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「本能寺の変」前の織田勢



本能寺の変3



本能寺の変が起る前の織田信長は天下統一目前。

「本能寺の変」当時の状況は、


・「上杉景勝」北陸方面軍(柴田勝家)と北信濃の森長可の二方面からの攻撃で、敗北は必死

・「北条氏政」関東方面軍(滝川一益)と徳川家康の押さえの上、事実上「臣下の礼」へ

・「長宗我部元親」四国方面軍(神戸信孝)の侵攻間近

・「毛利輝元」中国方面軍(羽柴秀吉)の攻撃下、和睦(降伏)時間の問題。信長自身の出陣準備





四国攻略にはより大きな兵力の投入が必要ではあったが、もはや時間の問題。

上杉と毛利は風前の灯で、北条は抵抗の方針だった場合は長引く可能性があったが、上杉の屈服を見れば、それほどの抵抗を示さないだろう。と、考えると北陸・関東・家康を主力とする圧力の前に北条を支配下に入れるまで、信長は1年で制圧できた。




あとは奥州・九州を除き、それ以外を支配下に入れるまで数年を要するだけ。
以後、奥州へは北条を含めた関東方面軍と北陸方面軍と家康、九州には毛利を含めた中国方面軍と四国方面軍の存在で「2、3年以内には天下統一出来ていた」と思われる。






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「本能寺の変」当日の織田信長



本能寺の変



1582年6月20日「本能寺の変」前日、碁を打つ信長に珍しい不吉の象徴・三劫(囲碁のルールの1つで、お互いが交互に相手の石を取り、無限に続きうる形)が出来、無勝負となった。同日、明智光秀は中国地方征伐の為出陣するもその途上、突然軍議が行われる。




「敵は本能寺にあり」



明智光秀はこの時、完全に織田信長への謀反が決まった。





「本能寺の変」当日早朝、明智勢は本能寺を取り囲み、四方から一気に攻め込む。



「本能寺の変」当時に信長とともに本能寺に宿泊していた女中衆から聞き取りをして記述されたと考えられている「信長公記」には次のように記述がある。




ときの声を上げ、御殿に鉄炮を打入れ候。是は謀叛歟、如何なる者の企ぞと御諚の処に、森乱申す様に、明智が者と見えも申候と言上候へば、是非に及ばずと上意候。


信長初めには御弓を取合ひ、二・三つ遊ばし候へば、何れも時刻到来候て、御弓の弦切れ、其後御鑓にて御戦ひなされ、御肘に鑓疵を被られ引退き、是迄御そばに女共付きそひて居り申し候を、女はうるしからず、急ぎ罷出でよと仰せられ、追出させられ、既に御殿に火を懸け焼来り候。




参照wiki



要するに、明智軍は鉄砲を撃ちかけて攻撃を開始。
明智軍1万弱に対して信長にはわずか100名ほどの兵がいるばかり。信長は家臣とともに戦い、最初は弓を射たが、弦が切れたので槍で戦い、傷を負ったところで、そば近くにいた女中衆に逃げるように命令し、女中衆を逃げさせている。その後、信長は既に火がかかった御殿に入り、切腹。信長が描いた天下は夢、幻しの如く消えた。





近くの妙覚寺で本能寺の異常を発見した織田信忠(織田家嫡男)は、駆けつけようとしたが、家臣に止められる。信忠は叔父の織田永益とともに二条城に立てこもるも、自害。永益は逃亡。




明智光秀は近江衆の協力を依頼しつつ、安土城に入城。
城内から金銀財宝を奪い、そこから皇族に金を出す。領民安堵を命じられるなど、新たな支配者として朝廷より信任を得る。が、大大名である細川家が当初より協力を拒んでいた事もあり、筒井家以外の協力は得られないまま秀吉襲来の報を知る。ここで唯一の協力者であった筒井家も協力を辞退。



突然の到来にまともな準備を出来ぬまま、山崎にて明智軍1万は駆けつけた秀吉軍4万とにらみ合う。「中国大返し」で疲労しきった秀吉軍であったが、明智軍は数的不利により敗北。明智光秀はなんとか逃走するも、偶然起きていた一揆に巻き込まれ重傷を負い、もはやこれまでと自害。




「本能寺の変」主犯であった明智光秀が亡くなったことで、「なぜ裏切ったのか?」不明のまま現在に至る。



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本能寺の変の謎



本能寺の変5




光秀の謀叛は、信長を殺すこと、その目的が有った(さらに言えば、その死を天下に公表すること)。



そして、その目的が果たされたかどうかを確認するための最も簡単かつ効果的な方法が、「信長の遺体を探すこと」だった。



ところが、本能寺の変で焼けてしまい、信長が死んだこと、さらに火事のせいで焼け焦げてしまった遺体も多い状況だったことで特定できていない。



信長と関係のある阿弥陀寺の清玉(せいぎょく)和尚は、変事を知るとすぐに現場に駆けつけ、信長が着ていた衣服の燃えカスの周囲に有った遺体を引き取って(信長の遺体として)弔ったと言われている。




そう考えると明智軍の兵士が、この程度のことが分からなかったとは思えず、仮に清玉和尚と同じように遺体を回収して、「これが信長様の遺体だ」と言ったところで、焼け焦げて誰だか分からないのを光秀が信用するはずもない。




信長は当時、京都の馬揃えなどで、公家衆をはじめ、畿内の人々には広くその顔を見知られていたから、黒焦げの遺体をさらして、仮に本人だったとしても、世間に認めさせるのは難しかった。そうなると、嘘をついて遺体をでっち上げても意味がない。





遺体を収容することで、確実に死んだことを世に示す必要があったので、本能寺に攻め込むときに火をかける必要はなかった。
戦力差は歴然だったのだから、逃げ道さえ塞げば勝負はついたはず。ドラマなどでは火矢が飛び交う中で応戦する信長の姿が描かれているが、実際に火を放ったのは信長だったのかもしれない。



光秀の謀叛は、山崎の合戦の敗北により以前の信長の遺体(理想を言えば首級を挙げる)を発見できなかった時点で、すでに失敗。それをさせなかった信長、それが最後の抵抗だったといえる。





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明智光秀と織田信長



本能寺の変1

織田信長と明智光秀の出会いは、1568年(永禄11)。



明智光秀の主君・足利義昭が織田信長と立政寺にて会見する際の供の役目を務め、立政寺で初めて信長と出会った。初対面ながら明智光秀はたいそう信長に気に入られ、この出会いが同じ役目をしていた同僚の細川藤孝と織田家に仕えることになる。





主に光秀は、朝廷や義昭と信長のパイプ役、話し合いで活躍。その功績から、1571年頃、「織田四天王」(柴田勝家 ・丹羽長秀・滝川一益 ・明智光秀)にも名を連ねる織田家の重臣にまで出世している。




四天王に連なるということは、相当、信長からの信頼は厚かった。

光秀も信長を信頼していたらしく、1573年義昭が信長に対して反旗を翻すと、光秀は主君であった足利家を見捨てている。さ ら に、1575年には、朝廷から九州の名門・惟任氏の名字と従五位下、日向守という官位を与えられ、これにより、名前が「惟任 日向守 光秀」となった。名前が四文字以上になったということは、少なくとも官位を与えられた武将なので(例えば「柴田 修理亮 勝家」、「羽柴 筑前守 秀吉」等)、信長から期待された部下だったのは確か。



1577年松永久秀討伐、翌年には、荒木村重討伐と織田家の重要な合戦には必ず出陣。
1579年には、「機内方面軍 総司令官」を務め、丹波国の波多野を攻略。見事に役目を務め、信長から「家臣一番の働き」と丹波一国を与えられた。


丹波の国(古くより京都の北西の出入口に当たる地理的条件から、各時代の権力者から重要視された場所)を与えたということは、信長自身が「光秀を自分の近くに置いておきたい」という信頼を意味する。





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本能寺の変の真実



本能寺の変2

なぜ、信長からも信頼されていた明智光秀は裏切ってしまったのか?



諸説ある中、有力といわれているのが四国政策転換説



信長が、同盟関係にあった長宗我部元親と四国の国分け(領土分割問題)を巡って不和となり、長宗我部氏討伐を決定した結果、それまで織田・長宗我部間の橋渡し役(当時は取次という重要な役目)だった光秀は、面目を潰された。




また、光秀の重臣である斎藤利三が長宗我部元親と縁戚関係にあり、利三から光秀に何らかの教唆があった」というもので、いくつかの要因を複合したことから、明智光秀が「敵は本能寺にあり」と反旗を翻した説。





説としては最も理論的で、内容も冒険的なものではないため、現時点では最も有力な説といわれている。



ただし、この説の典拠である「元親記」が史料批判に耐えられない二次史料である点や、2014年に再発見された関連史料である「石谷家文書」中の記述からも、光秀・利三と元親の関与や連携を断定できるとまでは言えず、いまだ仮説の一つとなっている。





次に秀光の後ろにいる黒幕説。



TBS「ふしぎ発見」でも取り上げられた秀光の末裔・明智憲三郎氏が唱えた「光秀・家康共謀説」(この説自体は以前から存在する)や、「光秀・秀吉共謀説」など複数の黒幕が関与したとする説があり、「森乱丸黒幕説」など珍奇なものも含めると、「光秀は単なる実行犯に過ぎず、彼を背後で操った黒幕が存在した」とする説はかなりの数が存在する。


本能寺の変6

ただし、これらは断片的な状況証拠を強引に(あるいは意図的に)つなぎ合わせた上に憶測や推測、想像で立てられた説で、納得のいく理由が存在しない。と考えると、客観的に見て信憑性に乏しい。




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信長のパワハラ





信長が光秀に行った行為は、まさにブラック企業にあるようなパワハラが横行していた。



・酒が飲めないのに、槍を突きつけて無理矢理飲ませた

・キンカ頭と人前で笑い者にされた


・家康との接待役を任され献立を全て考えたが、味見にきた信長は腐ったものを食わす気かと全て捨てられてしまい接待役も解任された

・母親を人質に出してたのに、構わず投降した波多野氏を殺してしまったので、母親を殺された


・佐久間信盛他譜代の家臣を、役に立ってないからと簡単にクビにした


・理不尽は領地替え



織田家の重臣達は信長の上洛後から比較的後方の尾張、美濃、近江とは別に、前線に掛け持ちで領地を与えられていた。羽柴秀吉も後方の近江長浜と前線の播磨に領地をそれぞれ与えられて、前線の所領は恒久的な知行ではなく、敵地侵攻のための経費として与えられていた。



勢力を拡大していった過程で家臣たちに、新たに褒美に与える土地の不足に直面。

それを放置すれば当然、褒美の不配当によって家臣団の中で不満が増大し織田は内部崩壊していく。よって織田は、各地に領土拡大にのりだした。




また、ときには家臣らの「落ち度」を発見すれば、それで討ったり追放して領地を取り上げて、新たに褒美にする在庫にしていた。例えば、水野信元は織田家中で領土を多く持っていたが、武田に寝返る嫌疑を掛けられ織田信長は徳川家康に命令して殺させて水野から没収。その領地は過半が宿老の佐久間信盛に与えている。水野信元が寝返ると密告したのは佐久間信盛だから多く与えられたという説もある。





また、佐久間信盛も織田信長から多くの落ち度を指摘されて追放されている。

その指摘された落ち度の中には、水野信元に対する密告は、「濡れ衣だった」との説もある。この佐久間信盛の落ち度の調査を信長に命令されてやったのは明智という説もあって、明智は佐久間信盛が追放されて、没収された領地や権益の過半を褒美に織田信長からもらったという説がある。



よって、光秀が謀反したのは、「佐久間信盛を追放するのに作った濡れ衣の詳細を織田信長にバレそうになったので本能寺の変を起こし、織田信長に処断されるに討った」という説もある。




このように、信長は天下が近いと思いきや、内部では問題が山積みだったので、光秀以外にも信長を恨んでいた部下は多かったと予想されている。





今夜の放送では、本能寺の変を最新CGにより現れた当時の街並みや、東映京都撮影所に再現された本能寺の豪華セットを舞台に、臨場感あふれる討ち入りを再現ドラマ化。その模様を古館による実況で本能寺の変の真実に迫る。







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