勝新太郎の息子 真剣事故 (1)
2020年2月13日(木) 放送、フジテレビ系「直撃!シンソウ坂上」
21時00分~21時54分




豪放磊落(らいらく)な人柄で知られる不世出の名俳優・勝新太郎の事件を妻・中村玉緒が激白。


番組MCの坂上忍が昭和の芸能界を騒然とさせた勝のスキャンダルの裏側に迫っていく。
勝新太郎と言えば、見知らぬ人間を数十人連れて飲み歩き数百万使ったり、外車をわざとぶつけたり、人にプレゼントしたり豪快な伝説が多いが、 その裏では多額の借金が原因で『勝プロダクション』は倒産してしまったりと、波乱万丈な人生を歩んでいた人物。




そんな父親をもった勝新太郎の息子が真剣で殺陣をやって俳優を斬り〇したという事件は、もはや都市伝説。ネット上では、この真剣事件も父親である勝新太郎が関係しているという。



今夜の放送では、勝新太郎の伝説がいくつか紹介されるので、勝新太郎の息子の真剣事件についてまとめてみた。




■目次

勝新太郎とは
勝新太郎の代表作「座頭市」
勝新太郎の息子の真剣事件
勝新太郎の息子のその後

勝新太郎とは






勝新太郎の息子 真剣事故 (6)


勝 新太郎
本名 奥村 利夫(おくむら としお)
生年月日 1931年11月29日 (没年月日 1997年6月21日65歳没)
身長170cm
血液型O型





市川雷蔵とともに大映(現・角川映画)の「二枚看板」として活躍。その後は「勝プロダクション」を設立し、劇場用映画やテレビ作品などの製作にも携わった。勝新(かつしん)と愛称で呼ばれ、豪放磊落なイメージと愛嬌のある人柄で、不祥事を起こしながらも多くのファンから愛された。2014年に映画関係者や文化人を対象にしたキネマ旬報のアンケートでは、好きな日本映画男優の第4位に選ばれている。



参照wiki




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勝新太郎の代表作「座頭市」




勝新太郎の息子 真剣事故 (5)


勝新太郎といえば、パンツに大麻を隠し持っていたことが有名だが、元は映画の座頭市がヒットした映画スター。


大映映画で1962年~1968年頃までヒットした座頭市シリーズ。

それからマンネリ化し、特に後半は映画館人口の激減で、映画各社は何をやっても当たらない時代に突入する。そんな中、東映の任侠ものや「座頭市」など固定客を持っているシリーズ物は重宝されていたので、ついついシリーズが長引き、後半になると初期の頃ほどのファンの熱気は徐々に失われていた。





それでも、スタープロダクションの利点を生かし三船敏郎と組んだ「座頭市と用心棒」(1970)は、当時、邦画第3位の好成績でしたから、勝新、三船と言うスター人気や座頭市、用心棒と言ったキャラクター人気は健在。




しかし、70年代になると、既に2本立てのプログラムピクチャーと言う興行形態そのものが大衆から飽きられており、60年代から続いていた長いシリーズ物は変化を余儀なくされ、三船や勝新はテレビなどに活路を見出すようになる。




当時の香港では、勝新の「座頭市」ファンが多かったようで、ブルース・リー「怒りの鉄拳」の敵役日本人も最初は勝新に打診されたという。結局、同じ勝プロだった橋本力(大魔神の中の人)が派遣されたエピソードもあるくらい勝新太郎は日本だけのスターではなかった。




勝新太郎の代表作「座頭市」はいまだに海外でもファンが多く、「ブラインド・フューリー」(1989)と言った海外リメイクとか、最近の「ローグ・ワン」に登場するドニー・イェン扮する盲目のキャラに座頭市を連想する人もいるくらい海外でも評価を受けている。



テレビでの表現と云うのは、(劇場のスクリーンに比べると)小さな画面で、視聴者に分かりやすく見せなければいけないと云う表現上の制約がある事、映画に比べ、はるかに少ない制作時間や予算なので、時代色(汚し)を付ける手間ひまがかけられない事、テレビ視聴者の中心である女性が、汚いリアリズム表現などを好まない傾向があった。




テレビ時代劇も、長年、その時々の大衆の嗜好の変化により表現も変わっているので、今の時代劇は、今の視聴者が好む表現で作られている。



さらに、今のテレビ時代劇はデジタルビデオで撮られているから、空気感もなく、あまりに鮮明に写ってしまう事で、いかにも「作り物めいた」感じになってしまうのは仕方ない。




予算をかけた時代劇映画などでは、今でも、美術や衣装のこだわり次第で、徹底的に汚し作業は行われているが、やはりこちらも、演じる俳優たちの顔つきの変化(食べ物の変化によるものか、頬や顎が発達した、いわゆる武骨な顔つきの人と云うのがほとんどいなくなった。カメラがデジタルカメラなどに移行している事もあり、画面上での雰囲気は、60年代頃のフィルムと全く同じと云う訳にはいかないようだ。




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勝新太郎の息子の真剣事件



勝新太郎の息子 真剣事故 (2)


勝新太郎の起こした事件では、
1982年18歳で姉と一緒に大麻密売で逮捕
1984年20歳で大麻取締法違反で再逮捕(この家族は中村玉緒以外全員逮捕歴あり)


とあるが、なかでも勝新太郎の真剣事件については社会に衝撃を与えた。

勝新太郎の息子・奥村雄大が「撮影現場で緊張感を持たせる為」真剣を使ったのは、構えのかっこ良さを演出するときなどなど昔から真剣も使われてきたことが原因だという。



勝新太郎の息子 真剣事故 (4)

事故が起きた「座頭市」(1989)のプロデューサー、監督、主演の勝新太郎は時代劇のベテランであり、目の前にいる役者が持っているのが真剣か模造刀かの区別がつかなかったとは考えにくいし、映画に不慣れだった勝新の息子が父親である監督に無断で勝手に真剣を現場に持ち込むというのもあり得ない。



もちろん小道具係が間違えるはずもなく、勝新がそれを承知で撮影しようとした、あるいは自らの指示で「真剣でやらせた」ということになる。


勝新太郎の息子真剣事件の流れとしては、勝新太郎が監督の「座頭市」の撮影中役者兼殺陣師・加藤幸雄が奥村雄大に真剣で首を斬られ意識不明→翌年1月死亡。


マスコミは、勝新は迫力出すため撮影に真剣を使っていたのか?と取材。
勝新側・スタッフが間違えて真剣を渡していたと発表(勝新も奥村雄大も知らなかった、気づかなかった)撮影は続行。



マスコミは「そんなコトことありうるのか?と疑惑消えないままでいたが、勝新太郎の息子は謹慎で表に出ず、警察の事情聴取うけ、書類送検された。



当時の現場スタッフも遺族もこの事件には口が重く、これ以上のネタも出ず、なんだかうやむやのままマスコミ的には沈静化。事件は風化されてしまった。




勝新も責任を負わされそうになったので、映画を一時期お蔵入りを考えたようだが、結局公開に踏み切っている。



この事件は、当時の一番新人がミスをしたと言う風に話を合わせている可能性が考えられる。



現場で何か事故が起きると末端の者に責任をかぶせ、話をうやむやにするのはありがちだし、結果、映画は公開延期されたが、その後公開、事件の真相は不明のままになっている。









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勝新太郎の息子のその後



勝新太郎の息子 真剣事故 (3)



勝新太郎の息子の真剣事件は、「事故扱い」となり、法的には殺人事件ではないと判断された。裁判でも「真剣とは知らなかった」を貫き、結局は無罪となっている。




通常、模造刀も真剣も振るった事がある人なら持った瞬間に分かるが、絶対に間違えようがない。重さも、重心も、刃の光り方も、鞘から抜く時の感覚も、何もかもが真剣は違い、真剣を振った事がある人なら、絶対に真剣だと分かってた筈だと口をそろえて言う。




だからと言って勝新太郎の息子が故意だったとは言えない。

たしかに当時のベテランの役者、時代物の撮影現場では度々真剣が使われる事があるとの事。ゆえに出演者もスタッフもかなり真剣に撮影に臨み、法的な手続き等も慎重に行われる。


そんな中で起きた事故なので、穿った見方をするジャーナリストや映画評論家の中には、「監督の勝さんがリアリティ傾向をより重視する為、自分の息子にあえて殺陣師を真剣で本当に斬らせたのだろう。」という意見をする人がいた事も事実。



しかしながら、警察側は十分な検証の結果、「真剣を模造刀と取り違えてリハーサルに臨み、その結果、殺陣師を刺してしまった」という最終結論を出して、業務上過失致死罪で逮捕・送検した。




別の殺陣師がよりリアリティを出す為、奥村雄大の使用する刀を模造刀から真剣にすり替えていて、そうと知らずに撮影リハーサルへと臨んだ奥村が死亡事故を起こしてしまったというのが、「座頭市シリーズ」を知っている方なら勝新太郎がやらせたと分かる。





しかし、その後、雑誌の親子対談で勝新太郎&雁龍(奥村雄大)親子がこの事故について語っていたが、勝は「(殺陣師の)首から血が吹き出した時、こういう仕掛けがしてあるんだなと思ったよ。」と仰ってましたし、雁龍太郎も「御遺族宅に謝罪へ行く毎に、お疲れ様でしたと言ってもらえるようになりました。」と語っていた。



ゆえに故意とは言い切れない部分もある。

勝新太郎の生き方を素敵だと絶賛するファンは多いが、真剣事件を含め慎重さがなく、やりたい事をやって家族を辛い立場に置いて、莫大な借金を残したまま亡くなっているので、とても称賛されるべき人物ではないことは間違いないだろう。






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