風船おじさん行方不明事件その後 (7)
2020年2月21日(金)放送、TBS系「爆報!THE フライデー」
19時00分~20時00分



風船おじさん行方不明事件の真相を特集。


数千個の風船で空を飛んでアメリカに行くと言い出した「風船おじさん」こと鈴木嘉和さん。気流に乗って相当遠くまでいったのだが、追跡するメディアにも見失われてしまい、そのまま行方不明となってしまった。



その後、メディアで大きく取り上げられ、どこに飛んで行ってしまったのか、検証されたが、結局見つからないまま。行方不明となっていたが、28年越しに家族が緊急出演し新事実を今夜初告白する。



今回は、風船おじさん行方不明事件のその後と現在を放送に先駆け、まとめてみた。





■目次

風船おじさん行方不明事件とは
鈴木嘉和とは
風船おじさんの無謀な挑戦
風船おじさん行方不明事件のその後は生きてる?
ヒカルと井川氏の逮捕

風船おじさん行方不明事件とは


風船おじさん行方不明事件その後 (3)



風船おじさん行方不明事件とは、1989年に横浜博覧会で立て籠もり事件、1992年4月に風船をつけた椅子で飛び立って1時間弱飛行した末の不時着事故とニュースになる騒ぎを2度起こした鈴木嘉和こと「風船おじさん」が行方不明になった事件。



1992年年11月に風船をつけたゴンドラでアメリカを目指して太平洋横断に挑戦したが、出発から2日後に連絡が途絶え、その後の消息は不明となった。最後の事件がワイドショーを中心にマスコミで報じられたことで風船おじさんの名で知られることになった。




参照wiki





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鈴木嘉和とは




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鈴木嘉和は国立音楽大学附属高等学校を卒業後、ヤマハの契約社員となり、東京都小金井市でピアノ調律業を営む。 1984年、44歳のときに音楽教材販売会社ミュージック・アンサンブルを起業して、ピアノ向けのマイナスワンテープ(オーケストラから特定の楽器を外して録音した、練習用のカラオケ音楽テープ)の販売を開始。


1986年、銀座では音楽サロンのあんさんぶるを開店。
さらに麻雀荘やコーヒーサロンやパブレストランなどを経営していたが、いずれもうまくいかず、1990年にミュージック・アンサンブルが4億円から5億円の負債を抱えて倒産。20人以上の債権者がおり、借金苦に陥る。




ビニール風船26個を付けたゴンドラ(飛行船)「ファンタジー号」による太平洋横断で借金を返済すると債権者に語っていたという。


1992年4月17日には、風船で飛び立ち、民家の屋根に不時着する事故を起こした。

府中署防犯課の警察官の制止を聞かずに東京都府中市の多摩川河川敷から千葉県の九十九里浜を目指して午後12時45分にヘリウム風船で飛び立った。


自分が座った椅子に5メートルと2.5メートルの風船各2個を直接くくりつけて飛行していたが、おもりの15kgの砂袋2個がはずれて急上昇し、予定の高度400メートルが5600メートルの高度に到達したため、当日購入していた百円ライターの火であぶって5メートルの風船を切り離した。この後、高度が下がり、午後1時40分頃に出発地点から24キロメートル離れた東京都大田区大森西七丁目の民家の屋根に不時着した。



しかし左手に怪我をした程度で済み、駆けつけた蒲田署員に謝罪しつつも、成功すれば次はハワイをめざす予定だったと語り、改めて再挑戦することを誓っていた。一方、民家は瓦が壊れ、テレビアンテナが曲がる被害を受けたが、鈴木からの弁償も挨拶もなかったという。



この初飛行の後、NHKのラジオ番組にゲスト出演し、その際、風船による太平洋横断計画について語っている。しかし、4月の実験飛行の大失敗によって、マスコミ各社は鈴木と距離を置くようになり、また風船のヘリウムガスを売ってもらえなくなった。 同年11月23日に「ファンタジー号」に乗り、琵琶湖湖畔から太平洋横断を目指し出発したが、2日後の25日を最後に消息はとだえた。





参照wiki






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風船おじさんの無謀な挑戦






風船おじさん行方不明事件その後 (3)



Wikipediaの記述によると、家族に「約2億円の生命保険をかけていた」とも言われ、(借金返済の為の)死を覚悟の冒険だった。(妻は国立音大ピアノ科講師でピアニストの石塚由紀子)



しかも、裏ではテレビ局が無理難題を吹っ掛けている。

フジテレビのワイドショー『おはよう!ナイスデイ』(実際には番組制作会社のディレクター)が「独占中継!」とか銘打って、放送しているし、予算の都合上(制作会社の限られた予算だから)、安全対策も、カメラによる監視もなかった。





なので、風船おじさんが自〇行為をやめなかったのは、裏でメディアとの取引があったのだろう。




万が一、風船でアメリカ(もしくはほかの国)に飛行できたとしても、風船おじさんは当局から飛行許可を得られなかったため、上昇実験という名目で飛び上がり、そのまま係留ロープを外して飛んでいってしまっている。




なので日本の密出国、アメリカの不法入国、ともに罪に問われる可能性があった。似た例で、ヨットでの単独太平洋横断航海に成功した堀江謙一も出入国については同じことをしているが、アメリカ側は特別に入国を認め、日本側も起訴猶予となり、罪に問われることはなかった。






まとめると、風船おじさんは、環境保護を真剣に考える真面目な人だったが、借金返済のため「フジテレビ」のディレクターに乗せられ、無謀な挑戦を行っていたことがわかる。











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風船おじさん行方不明事件のその後は生きてる?



風船おじさん行方不明事件その後 (5)


風船おじさん行方不明事件のその後、どうなったのか?気になる人も多いだろう。



風船おじさんの行方不明直前の状況を週刊実話が記事にしている。


内容

出発から40時間後の25日午前8時30分。彼はアメリカではなく、宮城県金華山沖800キロ、高度2500メートル地点を漂っていた。距離にすると、琵琶湖からはまだ1400キロほど。40時間で1万2000キロを飛んでいるはずが、予定時間を過ぎても約10分の1以下。思えば、ここでギブアップしても良かったのに…、誰もがそう思った。

 

その後は海上保安庁の捜索機が彼の生存を確認したのが最後。
前日夜半の救難信号を受けて発進したが、捜索機がゴンドラを見つけると彼は手を振ったり、ゴンドラから荷物を次々に投げ落として高度を上げたため“飛行意志あり”と見なされ、3時間の監視の後に捜索機は帰還した。



風船は1日に約1割ほどガスが抜け、放っておいても勝手に高度が下がる状態であったが、識者の見解では、「捜索機の最終確認から早くて3日、最長でも1週間で高度はゼロになっただろう」という。



彼が25日にいた北緯約40度・東経153度地点、そこを吹いた風の向き、台風の位置、気圧、その他さまざまな条件を考えると、彼は目指す東の方角からやや北に流されはじめ、千島列島の島々と並行するように飛んでいったことが予想される。



とすると、彼はロシアのカムチャッカ半島界隈まで飛べたことになる。

だが、残念だがまだ陸地には届いていない。ベーリング海手前の太平洋上だ。ここまで餓死や凍死、墜落死などをしていなければ、風船おじさんは見事着水。今度は風まかせではなく、潮にまかせて、親潮に乗って東北の三陸海岸、場合によっては千葉の九十九里海岸まで戻されているのかもしれない。そう、風船おじさんは日本に帰っているかもしれないのだ。



仮に本人は見つからなくても、せめてゴンドラだけは見つけたい。手がかりは、ゴンドラに書かれた『ファンタジー号』の文字。日本のどこかに流れ着き、ひょっこり我々の目の前に再び現れることを祈らずにはいられないのだ。



週刊実話



死亡した証拠も生存している証拠も何一つ見つかってはいないので、未だ消息不明だが、普通に考えて生存している可能性は少ない。



元々風船(ただのアドバルーン)もゴンドラ(ただの木製風呂桶)も高々度飛行に適応出来るような物ではなかったし、食料も緊急着水時の救命用具も全く積まない状態(多少のスナック菓子は積んでいたようだが)では助かる可能性は最初からないも同然。



週刊実話の記事のように、ベーリング海手前の太平洋上まで飛んでいたとしても、漂流時に関する知識も、非常時のサバイバルに関する知識もまるでない状態。そのまま、海中へ沈んでしまったと考えられる。



科学的に考えてもマラソンランナーが走る速度の風船は、太平洋を横断しようとしても間違いなく風船の空気は抜けてしまっていることだし、実際に当時の気象大学校の教頭である池田学は番組で「鈴木の生存は難しいだろう」と答えている。ファンタジー号のビニール風船の素材が塩化ビニールならば、1日に約10%の割合でガスが抜け、 海に着水。そのまま沈んだというのが、現実のようだ。




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風船おじさん行方不明事件の現在





風船おじさん行方不明事件その後 (4)

風船おじさん行方不明事件の現在、1999年の家族への取材によれば、「風船おじさんの夢を見た」といって、夢の中で風船おじさんが「○月○日に帰ってくる」とたびたび語り掛けてくるという。なので、2年に1度の捜索願を更新しており、風船おじさんは、「戸籍上は生きている」ことになっている。




風船おじさんの長女は、とってもしっかりした方で、一家で彼女だけが冷静。会見で、「お世話がせして大変申し訳ありません。もう、探さなくて結構です。」と、父親の存在を恥ずかしそうに語っていたが、奥さんは聞き耳を持たず、現在もなお生きていると信じているという。




風船おじさんは生前に様々な事業で、世間やマスコミを巻き込んだ武勇伝を繰り広げたトラブルメーカーであったことを考えれば、結果は自ずと出ている。そのような目立ちたがり屋が、もし命からがらでも助かったら、「冒険から生還し、人気者になり注目されるだろうから、商売に活かさない手はない」と普通は考える。




つまり、自らの意志でそれができない状況に陥った(たとえば冒険に失敗し命を落とした、あるいは生きていたとしても身体・精神的な疾患を患った、)と考えるのが自然。家族も生きているという希望をちらつかせ、メディアに出演しているので、奥さんも同類。




風船おじさんが、現代でYoutuberとしてやっていたら人気者になったかも知れないが、さすがに自〇行為の事件をいまだに蒸し返す家族は批判されても仕方がないだろう。







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