尾崎豊 死顔 フライデー (7)
2020年3月16日(月) 放送、TBS系「CDTVスペシャル」卒業ソング音楽祭2020
19時00分~22時57分



尾崎豊の長男・尾崎裕哉が父親の不朽の名曲「卒業」を披露。

尾崎裕哉はデビューする時に「父はガラスを割りましたが、ぼくは全力で磨きます」と言っていたが、その時点で尾崎豊が何を伝えたかったのか理解できいない。歌詞は生れ出るものだから、こう唄えば、聴いてる人が感動するだろう。こう語れば、かっこいいだろう、こんな表現をすれば、人は驚くだろう。このようなことを考えて曲を作っている間は、今のJポップのレベルで終わてしまう。



今回は、尾崎裕哉の父親である尾崎豊がどれだけ凄いアーティストだったのか。
当時、尾崎豊がなくなった当時、話題になったフライデーの死顔画像掲載などまとめてみた。




■目次

尾崎豊とは
尾崎豊の全盛期
尾崎豊の死因
尾崎豊の死顔画像をフライデーが掲載

尾崎豊とは



尾崎豊 死顔 フライデー (3)



尾崎 豊(おざき ゆたか)
生年月日1965年11月29日(1992年4月25日26歳没)
身長178cm


父親は元陸上自衛隊の尾崎健一。歌手の尾崎裕哉は息子。


1983年12月、シングル「15の夜」とアルバム『十七歳の地図』で高校在学中にデビュー。 ライブでの熱烈で破壊的なパフォーマンスや、夢や愛、生きる意味をストレートに表現した赤裸々な歌詞など、社会や学校の中で感じる葛藤や心の叫びを表現した楽曲の数々が1980年代から1990年代初頭にかけての若者を中心に多くの人から共感を呼び、カリスマ的存在となる。




特に10代の頃は「社会への反抗・疑問」や「反支配」をテーマにした歌を多く歌い、マスメディアからは「10代の教祖」「若者のカリスマ」などとも呼ばれた。校内暴力や学生による飲酒・喫煙が横行し、偏差値教育や受験戦争のひずみが露呈していた時代世相と相まって一部の若者の間で社会現象となる。



10代最後の日に3rdアルバム『壊れた扉から』を発売しヒット、同時期に行われていたツアーも満員となるなど人気は絶頂を迎える。



20歳になり、方向性を見失い、突然無期限活動休止を宣言し単身渡米。
当時曲を生み出せないことに苦悩していた尾崎は、何の収穫もないままその年の末に帰国。そんな中で所属事務所が立ち上げたレコード会社移籍、プロデューサーの須藤ら懇意にしていた音楽スタッフとも離れてしまい、新しいアルバムの制作は何度も中断された。



その後、新曲の発売がないまま1年半ぶりのライヴツアーが始まるも、9月に肉体的な疲労から倒れ、残りのツアーは中止。さらにはその年の暮れに覚せい剤取締法違反で逮捕された。



一方プライベートでは一般人女性と結婚、長男が生まれ、新たな価値観を見出した尾崎は1990年、レコード会社を古巣のCBSソニーに復帰、2枚組アルバム『誕生』をリリースし、オリコン1位を記録。



多忙な日々を送るなかで、再び精神的に追い詰められた尾崎は自○を図るなど混迷。
1992年4月25日早朝、当時の尾崎の自宅であるマンションから約500メートル離れた、足立区千住河原町の民家の軒先に全裸で傷だらけで倒れていたところを住人に発見される。診察した医師は「生命に関わることも考えられるので、専門医に見てもらった方がいい」と診断したが、尾崎は妻と兄と共に自宅マンションに戻る。



しかし、容体が急変、呼吸が止まっているのに気がついた家族が119番通報。
搬送先の日本医科大学付属病院で手当を受けるも、帰らぬ人となってしまった。死因は覚醒剤中毒 (メタンフェタミン中毒) による肺水腫と公表され、26歳というあまりにも若すぎる突然の死は、当時、社会的にも大きな衝撃を与えた。





参照wiki





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尾崎豊の全盛期







尾崎豊は、いじめ、不登校、非行、恋愛など、様々な悩みを抱える思春期の若者から「自分達の心の代弁者」としてカリスマ的存在だった。




実績を振り返れば中退した学校の卒業式と同日デビュー。
ほぼ口コミで満杯にしたスタジアムライブ、たった一度のテレビ生出演、未だに破られていない男性ソロアーティスト最年少記録の東京ドーム公演、そして全て作詞作曲した3枚のオリジナルアルバムのリリース。



10代からデビューしてこれだけの実績は、これは間違いなく偉業といっていい。

尾崎の犯罪を肯定するような部分や薬物に救いを求めた人生は好きになれない人もいるが、それが尾崎の全てではなかったし、音楽的には名曲が多い。


ただ、ミリオンヒットは死後で、ドラマ「この世の果て」の主題歌となった「OH MY LITTLE GIRL」のみ。生前には熱烈なファンはあったものの枚数的には大ヒットはしていない。






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尾崎豊の死因


尾崎豊 死顔 フライデー (4)



尾崎豊はメジャーになってからNYに滞在する機会が増え、そこで麻薬を覚えてしまった。

その後、彼は日本で逮捕される。そのキッカケは、中毒症状で様子がおかしいことに気が付き、将来に危惧をした父親が警察に通報されている。



執行猶予の有罪の後、彼は再び活動をしだし見事な復活を遂げる。


二枚組のアルバムは一位になり、ツアーも成功するも、しかし、尾崎は麻薬を断ち切れていなかった。尾崎豊は全裸の状態で民家の庭にいるところを発見される。病院から家族とマネージャーが尾崎を引き取る際、自宅に戻るまで尾崎は自分の頭を激しく地面や壁にぶつけようとしていたそうだ。家族はその行動に恐怖し、自分の意志とは関係のないように暴れる尾崎を、マネージャーが必死で押さえつけたという。





前述したマネージャーが出した暴露手記は「誰が尾崎豊を〇したか」という不穏当な題名だったことで、その後、尾崎の父が筆頭となって、死因の再捜査の署名運動に10万人近くの尾崎ファンが署名したが、警察は受理しなかった。






また、とあるルポライターが「尾崎の妻が犯人である」かの様な記事を書いたため、提訴され事実無根ということで敗訴したという経緯もある。




尾崎豊に覚醒剤での逮捕歴があることからしばしば誤解を受けるが、司法解剖時に検死をした支倉逸人によれば、尾崎の死因は、経時的な悪化による薬物中毒死ではなく、致死量の2.64倍以上の覚醒剤服用―オーバードーズ(薬の多量摂取)による急性メタンフェタミン中毒が引き起こした肺水腫と結論付けられている。





また、尾崎の遺体には暴行を受けたような傷やあざもあり、亡くなった日の状況がきわめて不自然であることから、他〇説も出回ったが、警察は、状況捜査や司法解剖を行った結果から「事件性なし」として調査を終結している。








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尾崎豊の死顔画像をフライデーが掲載





尾崎豊がなくなる直前に発見された時、裸の状態だった。

当時、尾崎豊の嫁は別居中だったそうで、様々な憶測が暗躍し、群がる音楽関係者や自称政治家の秘書など、マスコミに作られた尾崎ブーム、動く何十億とも言われた尾崎マネーなどから第三者による犯行(とくに嫁)のうわさが飛び交った。




連日、ワイドショーで尾崎豊の死が報じられ、まるで壮大なプロモーションが始まる。レコード屋からCDが消え、オリコンの上位を見事に独占。(ただ、権利の関係からか、昔の映像は一切流れず、全て写真)




社会的に影響が大きかったゆえに、尾崎豊に纏わるたくさんの暴露本が発売。


マネージャー同士が「俺が一番尾崎に信用された!」と醜い争いが始まる。膨大な遺産が残り、尾崎豊の嫁は全国長者番付上位にランクイン。(確か二位。見出しは尾崎豊)後追い自○は、一件だけ報道されている。(尾崎が住んでいたマンションの屋上からの飛び降り)




このファンの後追い事件が発生してからよやく報道規制がかかる。

そんな世間が騒然となっている時に、フライデーが尾崎豊の死顔の画像を掲載し、更なる大きな反響を呼ぶ結果になった。

尾崎豊 死顔 フライデー (5)


フライデーが掲載したのは尾崎豊の右目がアザの写真。

ネット上では「尾崎豊の死顔画像」と呼ばれているが、この時の尾崎豊は酸素チューブが口に挿入されているのでまだ生きている画像。





だから死顔画像ではないが、尾崎本人であることは間違いない。

現在でもフライデーの死顔画像として「救急車で運ばれた尾崎の当時の写真」とネット上であちこちに貼られているが、このフライデー写真を見ると色々な所で言われている他〇説の方が説得力があるように思えてきてしまう。




フライデーの記事には、尾崎は亡くなる前日に飲み屋で偶然旧友に会い、酒をがぶ飲み。
そのとき、尾崎はいつも、肌身離さず持ってたヌンチャクをその友達にあげた。(護身用?)そして、泥酔状態のままタクシーに乗って、運転手と喧嘩し、警察へ。




交番で注意され、解放されるも、泥酔の尾崎は見知らぬ人の家の庭に入り込む。(その家は尾崎の実家に激似)


その家で尾崎は急に倒れ、自分がいつも持っていたセカンドバッグの中身をすべて出し、名刺を思い出を惜しむように覗き込む。さらに、奥さんとの2ショット写真を握りしめて苦しみだしたという。激しく頭を、ブロック塀にぶつけ、くも膜下出血も引き起こしていた。


発見され、病院に搬送されるも、尾崎のわがままで帰宅したが、そのまま帰らぬ人となった。尾崎がなくなる2週間前に別居中の奥さんに「俺と一緒に死んでくれるかぁ?」聞いたり、また倒れて、帰宅したとき麦茶を飲んですぐに吐いて、その色が黄色かったそうなので、薬物をまだ使用していたのかもしれない。






管理人もこの尾崎豊の件を今更ながらに調べてみたが、今となってはフライデーの記事が真実はどうか分かりようもないし、当時警察が「事件性はない」と判断したことを半ば強引に信じるしかない。ただいえることは、このフライデー写真は、尾崎を愛する者にはあまりに強烈だったこと。



真相が解ったどころで尾崎豊は帰って来ない。尾崎豊の曲は残るので、その名曲を聴き続けることが、最高の供養になるのかもしれない。








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