ダイアナ妃の事故写真本物 (1)
2020年4月1日(水)放送、TBS系「ワールド極限ミステリー」
19時00分~22時57分






36歳でこの世を去ったダイアナ妃の元執事の独占インタビューをもとに、天才外科医との禁断の愛を完全再現。


チャールズは長くカミラと交際しており、カミラは軍人の娘で階級制度の根強い英国においては王室に嫁ぐことはできなかった。チャールズが軍に入り、遠い任地に赴いている間にカミラは別の男性と結婚。



王太子が独身のまま歳をとり、王室は慌てて花嫁探し。
最初に白羽の矢がたったのが、スペンサー伯爵家令嬢であるダイアナの実姉。英国王室に妃として嫁ぐには厳密な規程があり、貴族階級の出身であること。家柄(系統)に王室関係者がいること。また女性は婚約者候補となる前に医師の診断を受け、後継者を産むことができるかどうか、健康であるかどうかなど。


その条件をクリアしたダイアナの実姉は、チャールズと交際し、王室のパーティーに出席。この時、姉に付いて行ったダイアナは初めてチャールズと出会った。



ここの出会いでダイアナはチャールズと結婚にいたるわけだが、結婚後もチャールズとカミラの交際は続いていたという。結婚前からダイアナはカミラのことを知っていたのに、ダイアナ妃は英国王室に嫁いだのに何故、自分も不倫をしてしまったのか?




今回は、なぜダイアナ妃が不倫をしてしまい、あの壮絶な事故をおこしてしまったのか、概要についてまとめてみた。



■目次

ダイアナ妃とは
英国王室と日本の皇室の違い
ダイアナ妃の不倫
ダイアナ妃の事故写真本物と暗殺説

ダイアナ妃とは




ダイアナ妃の事故写真本物 (2)



ウェールズ公妃ダイアナ
全名: ダイアナ・フランセス

生年月日1961年7月1日 (1997年8月31日36歳没)



イギリスの第1位王位継承権者ウェールズ公チャールズの最初の妃。
イギリスの名門貴族スペンサー伯爵家の令嬢として生まれ、1981年にチャールズ王太子と結婚、彼との間にケンブリッジ公ウィリアム王子(第2位王位継承権者)およびサセックス公ヘンリー王子(第6位王位継承権者)の2児をもうけた。

しかし後にチャールズ王太子と別居状態になり、1996年に離婚。
1997年にパリで交通事故による不慮の死を遂げた。




参照wiki




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英国王室と日本の皇室の違い




英国王室と日本の皇室の違いについて。




現在の英国王室と日本の天皇家とは、歴史も成り立ちも全く比較にはならないが、王室=王族/王家の一族、皇室=皇族/皇帝の一族なので、似てる様で全然違う階級の人達(及び家)。



基本的に貴族(華族)<王族<法王(教皇)≦皇帝の順で偉くなっている。

因みに、天皇陛下は皇族でもあり、日本の神道の頂点(法王)でもある為、会食等を行う場合はイギリス国王陛下の方々やローマ法王聖下より上座に座る(平成天皇陛下が英国王陛下や法王聖下よりも年上だったという面もあるが)これは、これまでの編纂からは考えられない改革。




天皇は世界から見て特殊な称号であり、ある意味日本固有と言っても良い存在。

欧州の王室は、武力で国家権力を掌握し、国を治めた人の子孫なので、その後、市民や議会の力が強まって、権力を議会に譲っているという状況。だから、権力の代わりに金をもらっておとなしくしてるという感じ。




だから、王室は昔から金や女をあてがわれて、年中酒と美食に溺れてるというイメージがある。もちろん英国王室にも人権は当然あり、最もその権利を行使しているとも言える。日本の天皇は、藤原家に政治権力を奪われながらも、権力者に役職を与える最高の存在として今に至っている。


いろいろなタイプの人がいたが、国のために祈ることは絶えずやり続けているので、権力者ではなく尊い存在として尊敬されている。




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ダイアナ妃の不倫


ダイアナ妃の事故写真本物 (6)



チャールズ皇太子は「伝統に基づいたつつましやかな生活」を望んでいたけど、ダイアナ妃は「自由奔放にセレブリティとの派手な付き合い」を望んだから、二人の間に溝が出来たという報道がされているが、実際は違う。



たしかにチャールズ皇太子が不倫してたとは言え、ダイアナ妃自らも堂々と不倫し、パパラッチにチャールズ皇太子の不倫の話を積極的にリークしたりと、自由奔放に見えるが、それは逆。



ダイアナ妃の決して恵まれていなかった生い立ちや人がもって生まれた運命や自由を求める事の難しさや哀しさを知っているから、出来る限りの慈善事業や地雷廃止運動をしていた。


ダイアナ妃の事故写真本物 (3)



ダイアナ妃の資料でクリスマスに世界中に流れるビングクロスビーの「ホワイトクリスマス」は発売から55年で3千万枚を記録し、そんな彼女を知るエルトンジョンが歌った「キャンドルインザウインド」はわずか37日でその記録を塗り替えた。つつましい生活を望んでもままならない環境にいながら人知れず悩んだダイアナ妃の生き方に死後、世界中の人が親しみを感じ心を打った。




慈悲とか恵み、と言う言葉が似合うまるでマザーテレサの様な人生だった。


そんなダイアナ妃のスキャンダルをつかもうと、付け狙ったのがパパラッチ。

特定の人物を追いかける専門のカメラマンをパパラッチと言い、時には不正やスキャンダルを暴いたりもするが、対象のプライベートを無視している仕事なので当然嫌われている。イギリスは世界1の報道大国であり、パパラッチなども凄まじい行動力を持っている。中には家宅侵入など軽犯罪をしてまでネタを仕入れようとする人もいる始末。




ダイアナ妃はそのしつこいパパラッチの追跡をまこうとスピードオーバーでカーチェイスをした挙句、事故で亡くなった。


ダイアナ妃の事故写真本物 (5)

事故直後については、一般の目撃者談として、パパラッチたちが救急車を呼ばずに、まだ息のあるダイアナを撮影していたという話がある。もちろん、119番は事故現場にいた通行人の複数の人がしたようだが、救急車が来るまでの間、集まってきた心ある市民の中には、なおも撮影を続けるカメラマンたちに罵声を浴びせて抗議するという、まさに修羅場の様相だった。




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ダイアナ妃の事故写真本物と暗殺説





ダイアナ妃の事故でいまのところ確立している説は、「パリに滞在中、自動車で移動するダイアナとその富豪の恋人が、バイクで追跡してくるパパラッチの集団をまこうとしていて、富豪の専属運転手が速度をだしすぎて、車体が浮いて大事故となりダイアナとその自動車の乗員、運転手、全員が死んだ」というもの。



事故を見ていた証人もおっていたパパラッチぐらいしかいなく、パリ警視庁も交通事故として結論付けしている。




ネットでダイアナ妃暗殺説が出ている。

ダイアナ妃は、長きにわたるチャールズの裏切りや、チャールズが酷いという暴露本を出版した。この本がイギリス王室を揺るがし、世界的に爆発的に売れ、ダイアナにいっきに同情が集まった。




これに怒ったのが、エリザベス女王。

エリザベス女王は、ダイアナ妃の赤裸々な暴露に激怒し否定した。 しかし、実際は本当で、ダイアナがチャールズとの会話の内容のテープを録音しており、それを記者に渡し「私の夫婦は破綻しているの。これ書いていいわ」と渡している。


さらに頭にきたエリザベス女王は、チャールズにダイアナの悪口ばかりの暴露本を出版させ、 その内容が「ダイアナ妃も不倫をしていた」ことがわかり、イギリス国内でダイアナ妃の信用がおち、パパラッチの攻撃が始まった。



しかし、そもそも原因は、チャールズ。
ダイアナは自分の置かれている立場を考え離婚を我慢していたが、メディアに出て真実を話すことに決めたのに、 この反撃にもう無理と感じ別居をし、後にチャールズと離婚した。



1992年に別居後の4年の1996年に離婚。その離婚直後に、医師のハスナットカーンと出会った。ダイアナ妃はハスナットを本気で愛していたそうで、王妃だったダイアナが変装してまでデートしたほど、心の落ち着ける本当に好きな人だった。


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しかし、2年後にパパラッチにスクープされてしまい、ハスナットは、自分の医師としての立場が悪くなるのを恐れ、ダイアナと距離を置きだし破局。パパラッチに追われ、好き勝手に書かれたダイアナだったが、距離を置かれたハスナットをどうしても諦めきれず、ハスナットに振り向いてほしいため違う男性、今度はドディと交際。



パパラッチを逆に利用し、キス写真をパパラッチに撮らせ、その写真を見てハスナットに嫉妬してほしかった。振り向かせたかったのだという。その証拠にパパラッチにダイアナ妃から、「ドディとバカンスをする」という発信があった。その写真を撮らせて1番それを見せたい相手がハスナットだったという。





しかし、運転手とパパラッチの壮絶なカーチェスの末に柱に激突。

ダイアナ妃の事故写真本物 (4)

ダイアナ妃はこの事件の10か月前から、運転手に疑問を持っていたようで「車のブレーキを壊らせるようにして、私の頭を外傷させて殺そうとしてるわ。自分の(チャールズ自身のという意味)再婚のために邪魔者を消すように」ということを直筆で記録を残していたという。



しかもこの黒い車は、事故を何度も起こしている、ホテル側が買い取った中古車。パパラッチに追いかけられ、その車で、飲酒した運転手は100キロ以上のスピードで振り切ろうと運転。更に何者かによって車が制御不能になるようにされていたともいう。(60キロ以上出せば制御不能になるようにされていたそうだ)



こういった謎がダイアナ妃暗殺説がささやかれている理由だが、ダイアナは死後、一枚の写真をマスコミが公開してからダイアナ妃が再び人気が出ることになる。



その写真は、ダイアナ妃がエイズ患者の隔離病棟で、患者さんと直接握手をしている写真。
当時、エイズとは感染するのでは?と言われていたもので、その患者と握手をした行動が称えられた。その後、ダイアナ妃はボランティア活動にかなり熱心で、恵まれない子供たちに援助や地雷撲滅など、現地におもむいて、その場所を歩いたりと、今まで王室で、そんな活動をされた方がいなかった。


とにかく慈愛にみちた行動が、ダイアナ妃の人気に拍車をかけた。


亡くなったということが、国民には不動の人気にしたのかもしれないが、ダイアナ妃はつつましい生活を望んでもままならない環境にいながら人知れず悩んだ、彼女の生き方に今尚、世界中の人が親しみを感じ心を打つのだろう。







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