hide婚約者 (5)
2020年4月24日(金) 放送、TBS「中居正広のキンスマスペシャル」
20時00分~22時00分




金スマ特別放送、新型コロナウイルスについてメッセージを発信し続けるYOSHIKIが、親しい人を次々に失った激動の半生を振り返る。



YOSHIKIはリーダー兼プロデューサーでもあったので、ファンから支持される理由は言うまでもないが、その中でも元々X JAPANの中で最もファンが多かったのはhideだった。解散前のhideがいたライブ会場でもhideコスは圧倒的。hideはソロ活動もしており、1人でツアーも行っていた。そのソロのhideが好きって人が多く、パンク系で個性があり、ソロだとhideが圧倒的に実力もあった。





YOSHIKIの才能を高く評価してたhide。
Xに入った時も、「何か分からないけど、YOSHIKIはデカい事やりそうだから、それに賭けるよ」と言っていたという。後日談でhideは、X加入の理由を「YOSHIKIと遊びたかった」と言っていたほどなので、単純に、肌が合うというかウマが合うというか、相性が良かったのだろう。



今回は、hideとyoshikiの関係、hideがなくなった時の後追い人数など概要についてまとめてみた。






■目次

HIDEとは
X JAPANの全盛期
hideの死因
hideに婚約者がいた?
hideファンの後追い人数

HIDEとは


hide婚約者 (1)




HIDE(ヒデ)
本名・松本 秀人(まつもと ひでと)
生年月日 1964年12月13日
出身 神奈川

1987年から1997年までX JAPAN(旧名:X)のギタリストとしてHIDE名義で活動。

1989年にアルバム『BLUE BLOOD』でXのメンバーとしてメジャーデビュー。
1993年より、hide名義でソロ活動も開始し、1996年にはレコードレーベル「LEMONed」(レモネード)を設立。


1997年のX JAPAN解散後はhide with Spread Beaver及びzilchでの活動を開始するも、1998年5月2日に急逝。2007年のX JAPAN再結成以降においてもメンバーとして在籍している。


参照wiki





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X JAPANの全盛期



hide婚約者 (4)


2chでのアンチがどんな批判を並べても、X JAPANがV系の第一人者であるのは揺るぎない事実。




世界最速「魂のドラムミング」をする圧倒的カリスマ・YOSHIKIを始め、バンドを根底から超越する存在感で圧倒的な支持を集めた。




X JAPANの代表曲「紅」は、まだ無名だったXがインディーズ時代から演奏していた、非常に歴史の古い曲。出来た当初、もっとシンプルで歌謡曲チックな曲だったという。



その後、Xはメンバーチェンジを常に繰り返しているような流動的な状態に陥り、「紅」も演奏されない時期があったが、最後に加入してきたhideが「何で『紅』をやらないの?」と言ったことで、再び演奏するようになった。




ただし、hideが「このバンドはもっとアレンジをしっかりやらないとダメだ」と考え、ベーシストだったTAIJIと一緒に、「紅」も含めて曲を片っ端からアレンジしていった。おそらく「紅」のあの複雑な展開や、2本のリードギターが入れ替わりながらソロを弾いたりハーモニーを奏でたりする構成などは、その際に出来上がった。





その後、ライヴの中でも人気が出て不可欠なレパートリーとなり、とうとうXのデビューシングルにまでなるので、YOSHIKIの作った原石をhideとTAIJIが磨き上げるという、初期Xの持つエネルギー、バンドとしてのケミストリーを最も端的に体現した曲だといえる。





YOSHIKIはリーダー兼プロデューサーでもあるので、ファンから支持される理由は言うまでもないが、その中でもX JAPANの中で最もファンが多かったのはhide。X JAPAN解散前のhideがいたライブ会場でも「hide」コスは圧倒的だった。




解散後のhideはソロ活動もしており、1人でツアーも行っていた。
そのソロのhideもパンク系で個性があり、彼の曲を聴いてしまったら他の音楽を聴く気が失せるくらいの魅力があった。




ただ、hide本人は「EYES LOVE YOUのタッピングはTAIJIに教えて貰った」「(TAIJIがギターを弾いた)Voiceless Screamingは難しくてとても弾けない」等と自分で言っているほどなので、技術的に上のギタリストはいくらでもいたのだろう。



ベースに至っては「指引きが出来ない」とまで愚痴っていたし、自身がベースも弾くソロアルバムでは曲を映えさせるフレーズをこなしている。Xに置いてはPATAがいたことも有って、hideは超絶技巧が必要な所は目指していなかったのかもしれない。




この発言は冗談交じりとしても、単純な技術はそれなりだった。
しかし、曲を活かす表現がアーティストの本質。表現力や曲をトータルで考えた際に映えるギターを弾けるという点で、hideはアーティストとしては十分な技術を持っていたことは間違いない。







ちなみにX JAPAN解散後は、メンバーはそれぞれソロで活動し、メンバーそれぞれが別の事務所に所属している。これはX JAPAN再結成時、当初の計画での再結成は短期間の活動予定で、長期的なバンド活動をする予定ではなかったため。






それは、hideの死により、残された音源で過去の曲は演奏できても、新たな曲は演奏に限界があることや、肖像権の課題があったことと、ToshIが完全に新興宗教団体と縁を切れていなかった。






そこで、X JAPANは運営委員会を設け、X JAPANとしての活動の際にメンバーと個別に契約するという方式になった。




これを簡単に説明すると、普段はメンバーそれぞれ個人で活動し、X JAPANにバイトに行くような感覚。実際には逆で、X JAPANの活動がメインではある。



例えば、ToshIがX JAPANとしてライブを行う場合、出演料としてX JAPANからToshIの事務所に出演料が支払われる。亡くなったhideには肖像権があるので、出演料がhideの事務所に支払われる。



このようなシステムで再結成当初、ToshIの出演料はまだ新興宗教団体の事務所に支払われており、ToshIが1円も手にできていなかったのは有名な話だが、再結成の契約金に目がくらんだ新興宗教団体の行動にToshIが不信感を持つきっかけとなり、後に洗脳から解き放たれることができた。






ToshIが宗教団体と決別してからも、バンドとしての活動は多忙で、長期的なバンドとしての活動を見据え、スギゾーがサポートから正式メンバーとなる。泰司の死後、泰司の映像がライブで流れることも多くなり、7人で活動する際のトラブルを防ぐため、その後も個別の事務所に所属する形で現在に至っている。






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hideの死因



hide婚約者 (6)





1998年5月2日の朝7時30分頃、自宅マンションの寝室にて呼吸停止した状態になっているのが同居していた婚約者によって発見され、病院に搬送されたが帰らぬ人となった。





第一発見者の同居する女性、関係者の話をまとめると、HIDEは以前から肩こりが酷く(これはギタリストにはよくある症状)、ドアノブにタオルを巻きつけて首のストレッチをしていたようだ。事故があった日は、仕事を終えて泥酔して帰ったらしく、そのままいつものように首のストレッチをしてそのまま眠ってしまい、意識を失って呼吸困難になってしまったと推測された。





しかし、この理由はかなり無理がある。





普段からこういうストレッチをやっているのを同居する女性が知ってるのなら、なぜ泥酔状態なのに注意するなり、他の方法を教えてあげなかったのか?腕の良いマッサージ師に見てもらわなかったのか?など、様々なことが考えられた。





都内にスタジオを建設予定で自○などの動機などは無かったと考えられるが、一方でhideはXが解散したことが相当ショックだったことを周囲に漏らしていたという。




hideがメンバーの中で、一番にXを愛していた。




解散後、一番最初にソロで始動したのがhideだし、シングル「ROCKET DIVE」に続き、「ピンクスパイダー」「ever free」が連続リリースされる矢先に起こったhideの旅立ち。hideは精力的に音楽活動しX解散のことを忘れようとしていたようにしていたと思われる。




一言でいえば「X解散=hideの死」。
その緊張の糸が切れたのが、hideの事故につながったのではないか?とも一部では憶測されており、ロックスターによる謎が多い事件の一つとして、hideもそのうちの一人となってしまった。







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hideに婚約者がいた?





ここで気になるのは、hideがなくなった時に、同棲していた女性は誰なのか?




hideの著書に、弟へ「俺は子供を作らない。こんな生活だから、普通の生活は諦めた」みたいな事を言ってたので、てっきりファンにの間では、hideは結婚するつもりも無いと思っていたそうだが、あの日、自宅でグッタリしているのを最初に発見したのは、同居する彼女だったという。



その相手はhideのヘアメイクアシスタントだった高橋恵美さん。


hide婚約者 (3)


一般の方なので、名前は公開されてはいないが、高橋恵美さんはhideの晩年のスタイリストであり、レモネードショップのデザイナーもされていた優秀なスタッフ。



亡くなる直前のテレビ収録でも堂々と彼女がいることは答えていたので、(その時のトークで高橋さんの事をスタッフとして紹介している。その事からも彼女は別で高橋さんはいちスタッフという事がわかる)ファンの間では存在を認知されてはいたそうだ。



ただ、交際はしていたが、婚約者だったかどうかは不明。hideが亡くなってから精神的に落ちこんで仕事を辞め、現在は他の方とご結婚し、ロスに在住しているようだ。





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hideファンの後追い人数


hide婚約者 (2)


hideについて、ニュースで報じられると、当時の熱狂的な二人の女子高生が飛び降りするという後追い事件が起きている。人数としては2人だけだが、後追いの続きがあったとしても、マスコミが自粛したと思われる。





その理由として、hideの弟・裕士さんの手記に、hideがなくなったことである程度の後追いが発生することは予想はしていたそうだ。手記の中に「hideは『ノレるヤツだけ連れてくぜ』とアピールしていたが、どうか今だけはhideについていかないでくれ」と、後追いするファンを思いとどまらせるコメントを載せている。







だから事務所の方も同じように、多くの後追いに関しては認識していた。
hideが亡くなったのが午前8時52分で、hideが自〇扱いされる報道が出始めたのが午後3時ごろ。裕士さんが警察の事情聴取から解放されたのが午後5時や6時だったそうだ。





当時、弟の裕士さんも事務所の方も詳しくは何もわからない状態だったそうなので、これといった対応もできず、hide自〇の報道だけが流れ続けていたという。事務所も問い合わせが相次いでいて混乱していたそうで、すぐさま「後追いをしないでくれ」というような声明を出せずにいたとしても不思議ではない。





実際に後追い自〇が報道されるようになって、後追いを止めるようにXのメンバーが会見を行ったのが2日後のこと。尚これは警察の要請によるものだったという。



YOSHIKIも「そんなことするなよ」と釘を刺していたから後追いは、これ以降はいなかったと思われる。




葬儀には、ニュースでも中継で言われていたように、52000人くらいのファンが押し寄せた。
これは美空ひばり、石原裕次郎の葬儀の時よりも多く、戦後史上最高の参列者だそうで、3キロほどの列があったそうだ。
全盛期を知らない人には、伝説というより、Xが神格化されているのはhideが多世代に渡り支持を得ているからということを忘れてはいけない。







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