フィリピン航空434便爆破事件はテロの被害者 (2)
2020年7月8日(水)放送、TBS系「ワールド極限ミステリー」
21時00分~22時57分



フィリピン航空434便爆破事件で狙われた日本人について特集。
事故としては小規模だったので、当時も大きな話題にはなっていないが、南大東島付近で爆発し、那覇に緊急着陸。死亡者の一名が日本人だったので、なぜこの日本人だけが狙われたのか、疑問が多く残る事件となっている。




今回は、なぜフィリピン航空434便爆破事件がおこったのか、事件の概要についてまとめてみた。





■目次

フィリピン航空434便爆破事件とは
フィリピン航空434便爆破事件の犯人
日本人男性の名前となぜ狙わてたのか?
フィリピン航空434便爆破事件はテロの被害者

フィリピン航空434便爆破事件とは



フィリピン航空434便爆破事件はテロの被害者 (4)



フィリピン航空434便爆破事件とは、1994年12月11日に発生した運航中の旅客機を利用した航空テロ。


このテロは国際的テロリスト集団「アルカーイダ」が1995年1月21日に決行を予定していた、ボジンカ計画と呼ばれる航空機爆破計画の予行演習として行われた。日本の領空付近で発生し、日本人の乗客1名が死亡した。




参照wiki





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フィリピン航空434便爆破事件の犯人








フィリピン航空434便爆破事件の犯人は、アルカーイダ。

フィリピン航空434便爆破事件はテロの被害者 (5)


1994年12月11日、世界貿易センター爆破事件の実行犯でもあった、アルカーイダのラムジ・ユセフは、ニノイ・アキノ国際空港から搭乗すると、膝下に隠して持ち込んだ爆弾を、機内のトイレで組み立て、座席下のライフジャケットの位置に爆弾を仕掛けた。



この間、ユセフが頻繁に座席を換える光景を、客室乗務員に目撃されている。

ユセフはマクタン・セブ国際空港で途中降機。 新東京国際空港まで約2時間で到着する予定であった日本標準時の午前11時43分、沖縄県の南大東島附近上空31,000フィート(およそ高度9,000メートル)を巡航中に突如爆弾が炸裂し、その座席に座っていた農機具メーカー社員(日本人男性・当時24歳)、男性の周囲の座席に座っていた乗客10名も負傷した。




爆発により客室の床に0.2平方メートルの穴が開いていた。
434便は1時間後に沖縄本島の那覇空港に緊急着陸した。床の操縦系統に損傷を受けていたために方向舵の操作が困難であったが、エンジン出力をコントロールすることで旋回を行い、無事に着陸。


爆破された座席は26Kであったが、この位置はフィリピン航空の機内レイアウトでは、ボーイング747の中央燃料タンクの真上であった。犯人は燃料タンクを爆破し、機体を空中爆発させることで、多くの乗客の生命を奪うつもりであったと考えられる。


しかしながら、爆弾が仕掛けられたボーイング747型機は改修されていたため、タンクは26Kよりも2列分前にずれて取り付けられており、26Kの座席下は貨物室となっていた。そのため、ジェット燃料に引火して空中爆発を引き起こす事態にはならなかった。また、男性が26Kに座っていなければ、外壁が破壊されるなど、被害が大きくなっていたという。



参照wiki










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日本人男性の名前となぜ狙わてたのか?






犠牲になったのは池上春樹さん当時24歳。

しかし、事故当時、犠牲者が日本人なのに、日本の報道の扱いは大きくなかった。ただ現在のようにインターネットが普及していないので、もっぱらニュース番組や新聞などでしか情報を得ることが出来なかっただけなのかもしれないが、当時の事故を知る人は少ない。




このPR434がマニラ→セブ→東京という珍しいルートを飛び、さらにマニラ~セブの乗降を認めていたこと。したがって犯人は、マニラで搭乗して爆発物を仕掛けてセブで降機したための事故。



アル・カーイダは結成後、オサマ・ビンラディン首謀による最初の攻撃は1992年12月のイエメンのアデン市にあるホテル爆破テロを起こしている。ソマリアの任務へ赴くアメリカ海兵隊の隊員たちがホテルに駐屯して宿泊しており、これを狙ったもの。



当時は政権が崩壊した後、氏族間の対立で軍閥が割拠する内戦と無政府状態に陥ったソマリアの支援活動、オペレーション・レストアホープ(希望回復作戦)が展開されており、各国から派遣されたPKF(国連平和維持軍)が集結していた。アル・カーイダは、これをイスラムに対する十字軍の侵略行為だと受け取ったものと見られる。



ソマリアでは、米軍はモガディシュ市での激しい市街戦いわゆる「ブラックホークダウン事件」など手痛い損害を被り、結局退却を余儀なくされるまで追い込まれたが、アル・カーイダはゲリラ戦術を現地の民兵に訓練指導ないし直接交戦に加わっていた。ビンラディンはここから超大国アメリカを相手にしても勝てると自信を付けたようだ。






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フィリピン航空434便爆破事件はテロの被害者




フィリピン航空434便爆破事件はテロの被害者 (3)



アルカイダ系テロ組織は米国に対する反米感情が強く、標的にしている。


『アルカイダ』は元々米国がソ連率いる共産勢力を排除する先兵としてオサマ・ビンラディンらイスラム戦士を育てた。冷戦終結後、サウジアラビア等に駐留してイスラム教の事に配慮しない、中東戦争でアラブ世界を脅かすイスラエルの肩を持つ米国に対して反米感情が募り、オサマ・ビンラディンがアルカイダを結成して、爆弾テロ事件で抵抗活動を開始して、その活動はアイマン・ザワヒリの代になった今日に至る。



1998年に起きたアフガニスタン・スーダンへのミサイル空爆、ここがテロの始まり。

アフガンのソ連軍との戦いにアルカイダが活躍しそれにアメリカが援助を行ったとかそういった因縁はあるが、それは911と直接繋がったわけではない。



当時、アメリカはビル・クリントンの民主党政権で、平和外交を主張しながら人の国の問題にちょっかいを出しては中途半端に手を引き、状況を悪化させるという迷惑極まりない外交を行っていた。


それによって中東の反米テロは活性化し、ケニアとタンザニアの米大使館が爆破されるという事件が起きている。後にエジプトのジハード団が犯人だったことが発覚したが、この当時アメリカはアルカイダの犯行と断定し、アフガニスタンとスーダンをミサイル空爆した。


ちなみにスーダンは、この当時アルカイダとは決裂しており、全くの濡れ衣、アフガンのアルカイダもエジプトとの繋がりはハッキリしていない。



この当時、ビル・クリントンはモニカ・ルインスキーとの不倫事件の発覚で支持率が急落しており、この即座の対外戦争はこの不名誉な事件を誤魔化すために行われたモノだとも言われている。これが事実かどうかはともかくとして、アフガン人は間違いなくアメリカ大統領の不倫騒動の当て付けに使われたと取った。


そう聞けば、怒り狂ったのは当たり前で、報復を企んだのも無理はない。

つまり、テロに特別政治的な目的があったわけではない。復讐心が主体でそれ以上のことは考えていなかったというのが正しいところ。いかにアメリカをギャフンと言わせてやるか、そこまで考えるのが精一杯でそれ以上のことに思考が働いてなかったのだろう。



戦術だけに頭を働かせていたが、戦略・政略の分野では殆ど考えていなかったという事。
だからこそ次の一手でアメリカに先制を許し、たちまちのウチに追い詰められることになった。もし本気で戦略・政略を考えていたのなら、911の直後に連続して別の場所、アメリカでもなくて良いからテロを繰り返すべきだった。



更にそれこそイラクのフセインなど潜在的な反米国に情報を流し次々と蜂起してもらうべきだった。あの911事件の後、アメリカは少なくとも1週間は機能が完全に麻痺し、即座に行動を起こしていればアメリカはかなり追い詰められていただろう。


ところが彼等はアメリカに一撃を食らわせたことで満足してしまった。

おかげでたちまちのウチに世界中が敵に回り、自分達の言い分まで隠蔽されてしまった。



つまり、フィリピン航空434便爆破事件はアメリカへの報復のためであり、それによって無関係な池上春樹さん当時24歳が犠牲者になってしまった。この事件が認知度が低いのは、同じ1994年の4月26日に名古屋空港で起きた中華航空機墜落事件があり、乗員乗客271人中264人死亡という悲惨な事故があったので、この事故に隠れてしまっているのかも知れない。



どちらにしても、泥沼化した終わらない戦争に巻き込まれてしまった形である。













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