岡田更生館事件写真と館長実名 (1)

2020年9月3日(木) 放送、フジテレビ系「奇跡体験!アンビリバボー」
19時57分~21時00分





1949年に起きた岡田更生館事件を特集。




県内の路上生活者を強制収容し、劣悪な環境下で70人以上の死亡につながった岡田更生館事件。戦後の混乱期、戦争によって居場所を失った路上生活者が日本各地にいた。彼らを収容するために作られた施設が「岡田更生館」。身元のはっきりしない人間が公園等の公共施設内を占拠したり、巷をウロウロしたりする方が行政は困る。


だけど民主主義なり「基本的人権」の問題もあるからなかなか実力行使は出来ないとなると、まずは住居を確保し、自立出来るまで施設に収容し、結果として健康的な市民になってくれればそれが一番良いに決まってる。



施設では十分な食事が用意され、仕事もあり、働けば賃金が与えられ、貯金も可能と国から支援をうけた岡田更生館だが、現実は大きく異なっていたという。




今回は、アンビリバボーで岡田更生館事件が特集されるので概要についてまとめてみた。



■目次

岡田更生館事件とは
岡田更生館のN館長
岡田更生館のその後
岡田更生館の館長の実名が公表されない理由

岡田更生館事件とは

岡田更生館事件写真と館長実名 (3)




岡田更生館事件とは、岡山県吉備郡岡田村(現倉敷市真備町岡田)に1946年(昭和21年)12月から1950年(昭和25年)まで存在した浮浪者収容施設・県立岡田更生館で起きた事件である。犠牲者は開設から2年余りで76名にものぼった。




1949年、毎日新聞大阪本社に北川と名乗る男が駆け込んできて、自らの身に何があったかを話し始めた。北川は偶然知り合った、県の職員から施設「岡田更生館」への入所を勧められる。当時は、戦後の混乱期。戦争によって居場所を失った路上生活者が日本各地にいた。




彼らを収容するために作られた施設が「岡田更生館」。

施設では十分な食事が用意され、仕事もある。働けば賃金が与えられ、貯金も可能だと。 だが、現実は大きく異なっていた。北川によれば仕事もなく食事も十分に与えられず、北川がいた約1カ月の間だけでも50~60人が栄養失調で亡くなり、日常的にリンチや殺人も行われていたのだという。



北川は何とか脱走に成功し、岡山から大阪にある毎日新聞本社へ逃げてきたのだ。 この話を聞いた大森記者はにわかに信じられなかった。本当ならば、とうに大問題になっているはず。しかし本当なら…?大森は岡山県庁で話を聞くと、悪い評判は皆無。しかし、過去の新聞記事を調べてみると、脱走者が施設内での暴力を訴えたという、小さな記事を見つけた。


しかしその後の警察の調査で、暴力は否定された。 果たして「岡田更生館」は優良施設なのか?それともリンチや暴力など繰り返される、恐るべき施設なのか?実態を探るため大森は小西記者と2人で自ら路上生活者に変装、施設に潜入を試みる。無事脱出できなければ殺される可能性もある中、命懸けの潜入取材が始まる。




公式サイト





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岡田更生館のN館長





なぜ、このような凄惨な事件が起きてしまったか?


というと、岡田更生館のN館長が運営費の横領していたことが直接の原因。  





岡田更生館の館長は、県から交付されていた岡田更生館の衛生費・飲食費のうち 90万超を来客の接待費や妻の入院費に流用。 しかも収容者の貯金も使い込んでしまったため、 その発覚を恐れてこのような事件を起こした。




収容されている人達に食事を十分に与えず、 病気にもなっても放置。
それに異議を唱える者がいると、反抗的な態度の収容者にはもちろん 岡田更生館の職員にも暴行を行ったという。この岡田更生館の館長は、柔道5段の猛者だったそうで、力ではどうすることもできなかったそうだ。





事件発覚から1950年2月28日、岡山地裁で裁判が開かれ、N館長に業務上横領と私文書偽造で懲役1年執行猶予3年、岡山県会計課主事の男性が同罪で懲役1年執行猶予2年、岡田更生館指導員の男性が同罪で執行猶予3年、同僚が同罪で執行猶予2年の判決が下っている。




執行猶予はその期間中のみ法的な前科となり、執行猶予が明ければ犯罪前歴としては残らない。つまり、無罪とは違うが、前科者ではなくなっている。




N館長の執行猶予3年ということは、これだけの被害者がいても、戦後の混乱期で何万人もなくなっているので、それほど大した事件でもなかったと当時は判断されたのだろう。





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岡田更生館のその後



岡田更生館事件写真と館長実名 (2)



事件後、改組名称変更し岡山県吉備寮となるも、1955年(昭和30年)に廃止。
昭和31年には更生施設から救護施設に改組されたが昭和32年廃止。その後、跡地には民間の病院が一時期開設されたが閉鎖、現在は住宅地となっている。




小西記者は潜入取材後、壮絶な疥癬にかかった。

毎日新聞社はこれを業務上公傷と見なし、手当を存分に出して山中温泉に行かせた。しかし小西は翌年、金閣寺放火事件の犯人に懺悔録を書かせようと毎日天丼を一週間差し入れ続けたが、その請求書をデスクに出して「国賊」と罵られ、大喧嘩の末に社会部からラジオ原稿の書き換え係に左遷された。




参照wiki




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岡田更生館の館長の実名が公表されない理由






ネットなど岡田更生館に関する報道記事を見ても、N館長の実名が公表されていない。




日本国憲法第37条1項は、「公開裁判」を定めている。


これは公権力が、国民の知らないところで、自分たちに不都合な人間を秘密裁判にかけ処刑してしまうようなことを防ぐため。なので、刑事裁判が公開でなされるということは、実名報道をやめさせても意味がないということになり、報道機関に実名報道しないようにかけあっても断られてしまう根拠になる。



有名人の関係者であったり、悪質な犯罪であったとしても、裁判で執行猶予となれば、逮捕・起訴された時にも報道されていたとしても、メディアは報道しない。すべての刑事裁判の判決公判を紙面に載せるほど紙面に余裕がないという理由もあるが、場合によっては民事で損害賠償請求される可能性はあるので公表しないのだろう。





戦前や戦時中、この国は男尊女卑が横行し女性には選挙権は無く男の浮気は合法で女の浮気は姦通罪という犯罪だった。それが戦後いきなり男女平等の現憲法が出来たぐらいなので、憲法上の差別は無くても民意なのか、裁判所が軽く判決を出す前例を作ってしまった。



それか判例となって最近まで続いていたが、徐々に修正されつつある。
最近では女の死刑判決も出る様になったし、(戦前では殺人でも女に死刑判決は出てない)実名報道は男女問わず凶悪犯罪は成人なら出るが、このような凶悪犯罪の実名を公表しないことは、社会復帰の間口が狭いなどと見当違いだし、犯罪を助長する人間だと自覚したほうがいいだろう。






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