元アイドルXストーカー (2)

2020年9月11日(金) 放送、TBS系「爆報!THE フライデー」
19時00分~20時00分






作詞家に転身した元アイドルXこと江美早苗に起きたストーカー事件を特集。
江美早苗は、ダンスグループ「レ・ガールズ」のメンバーとして活躍し、「新婚さんいらしゃい」の初代アシスタントを務めた。又、作詞家としても活躍しており、南沙織のヒット曲「人恋しくて」を作詞。ちなみにこの曲の作曲は「春うらら」、大ヒット曲となり、売れっ子作詞家として活躍した。




しかし、1988年3月5日、ストーカー行為をうけていた犯人に刺〇され、この世を去ってしまう。




いったい江美早苗になにがあったのか?




今回は、元アイドルXとして爆報フライデーで特集されるので、江美早苗の概要についてまとめてみた。




■目次

江美早苗とは
江美早苗をストーカーしていた犯人
江美早苗をストーカーしていた犯人の現在

江美早苗とは

元アイドルXストーカー (1)






江美早苗(アイドル引退後は中里 綴)
本名:神田 恵美
生年月日1951年3月15日 (1988年3月5日没)
出身 島根県松江市


実家は老舗旅館であり、4人兄弟の末っ子。
6歳からバレエを習い始め、小学校2年生になった1958年(昭和33年)、西野バレエ団に入団。
1966年(昭和41年)3月、松江市内の中学校卒業後、同年4月、島根県立松江北高等学校に進学するも、親の反対を押し切り同校を中途退学して東京に移り、同バレエ団で活躍、やがて金井克子、由美かおる、奈美悦子、原田糸子と並ぶ5人娘と呼ばれるようになる。


江美早苗の名で、1967年(昭和42年)に同バレエ団のメンバーで結成されたダンスグループ「レ・ガールズ」に参加、同年8月4日に放映開始した音楽バラエティ番組『レ・ガールズ』(日本テレビ)にレギュラー出演。


1968年(昭和43年)3月16日に公開された劇場用映画『ミニミニ突撃隊』や9月15日に公開された『初恋宣言』に「レ・ガールズ」のメンバーとともに出演する。同年2月5日、シングルレコード『涙でかざりたい』でソロ歌手としてデビューしている。

1971年(昭和46年)1月31日に放送開始し現在もつづく長寿番組『新婚さんいらっしゃい!』の初代司会に満19歳で抜擢され、桂三枝・月亭可朝との3人でスタート。



1972年(昭和47年)春、満21歳で引退し、同バレエ団を退団して郷里の松江市に戻る。
中里綴・神田エミの時代 1973年(昭和48年)9月、東京に戻り、作詞家としての再スタート。1974年(昭和49年)6月には、田山雅充が結成したグループ「赤い花」のデビューシングル「赤い花みつけた」のB面曲『今愛の中で』(作曲田山雅充、キャニオンレコード)に中里綴の名で歌詞を提供している。


1976年(昭和51年)2月26日に発売されたソロデビューシングル「春うらら」以降、作詞家としての地位を築き、1978年(昭和53年)5月5日に発売された伊藤咲子のシングル「寒い夏」につづき、同年7月5日に発売された伊藤のアルバム『おるごおる』の全曲作詞を務めた。




1980年代にかけて、沢田聖子、中森明菜、堀ちえみらの楽曲の作詞を手がけ、作詞家としての再出発以来8年の同棲生活を経て、1981年(昭和56年)3月、音楽プロデューサーとして独立。


私生活では14歳年上の屋代昭彦と結婚するも、1985年(昭和60年)12月、屋代とは協議離婚している。


参照wiki






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江美早苗をストーカーしていた犯人



元アイドルXストーカー (2)




江美早苗は元アイドルとはいえ、結婚してメディア出演をしていないのに、なぜストーカーをうけていたのか、疑問に思う人がいるだろう。





実は江美早苗をストーカーしていた犯人は夫の屋代昭彦。



屋代昭彦は若い頃からギャンブルが好きで、熱中したら仕事よりもギャンブルを優先するひとだった。生活のことも考えずに全部パチンコにつぎ込んだり、江美早苗が得た収入も使い込んでしまうほど、とてもじゃないけど家族として生活するのは難しかったという。



何度も話し合ったが結局何も変わらず、ギャンブル、女、酒に夢中で、家庭に不向きなことから離婚を決意。それだけならよくある話なのだが、散々迷惑かけておいて、離婚後もお金に困ったら借金を申し込んだり、復縁を迫ったり、無言電話を繰り返し、ストーカー行為を続けていたという。




当時はストーカー規制法などなかった。

ストーカーが世間で認知される前は、このような事件は「恋愛関係の縺れ」として、民事不介入の原則から警察も動いてくれなかった。そもそもストーカーという言葉自体知られていないし、携帯電話もなく、公衆電話からかけているので、逆探知しようにも即確認しようができなかった時代。


こういった事件は表には出ていないが、昔から待伏せ、しつこい輩はいた。
昔の方がきつかった(しつこさが)のは事件を見ればわかるが、おっかけ(芸能人とか)と同類とおもわれていたようだ。アイドルのCDを買ったり、応援し、お金を出してるから、おっかけ・迷惑なのも有名税と言われていたほど。



なので当時は、ストーカー行為を受けても、誰にも止めることができなかったことがわかる。



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江美早苗をストーカーしていた犯人の現在




元アイドルXストーカー (1)

1988年3月5日、復縁を要求してつきまとい、かねてからストーカー行為を行っていた元夫の屋代が、東京都品川区上大崎の自宅マンションにバスルームの窓を破壊して侵入。




致命的な傷害を受けた江美早苗は、近くの病院に運ばれたが、36歳の若さでこの世を去った。犯人は屋上に籠城し、翌日0時28分に逮捕、同年5月17日には東京地方裁判所で初公判が行われ、裁判の結果、懲役12年の実刑判決が下り、服役した。


屋代昭彦の現在は、すでに出所しており、現在はどうなっているのか不明。

生きていれば83歳なので、生存している可能性はあるが、現在はおそらく悲惨な状況にいるだろう。刑務所の長期刑で出所時の年齢が80歳以上で身寄りがない場合でも、刑務所は出所後の生活の配慮はしない。


懲役中の報奨金はわずかしかないし、80歳以上では就労は不可能。
現在は、再犯防止の観点から刑務所の所在する役所の福祉課に、生活保護の申請をすることはできるが、役所関係者が刑務所で面談したりして、その生活保護の可否についてアドバイスするなど監視下に置かれている。


なので、本人の意思に反して保護開始のことにもならないし、 自立を促すための施設だので原則入所期間も決められている。それに、高齢者はなかなか施設としても対応が困難で、受け入れ態勢の不備が改善されない状況にあるらしいので、そんな年齢になってまで監視された生活を送らないといけないので、〇んだほうがましなくらい。刑務所出社の高齢者は再犯で再び刑務所もどりたい人が多いのは、そういった理由からあるのだろう。






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